「チリ・クーデター」の版間の差分

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[[File:Junta Militar de Chile (Colorizado).jpg|thumb|200px|right|ピノチェトと軍政評議会のメンバー]]
[[ファイル:Chile quema libros 1973.JPG|thumb|200px|right|クーデター後の[[焚書]]]]
クーデター後ただちに、陸軍のアウグスト・ピノチェト、海軍のホセ・トリビオ・メリーノ(José Toribio Merino)、空軍のグスタボ・レイ(Gustavo Leigh)、[[カラビネーロス・デ・チレ|国家警察隊]]のセサル・メンドーサ・ドゥラン(César Mendoza Durán)を構成員とする軍政評議会が発足した。当初、この4名は同等の立場に立つメンバーで、評議会の委員長は持ち回りとされていた。が、最年長ということで初代の委員長にはピノチェトが就任した<ref name=":0" />。そのピノチェトは、陸軍のトップかつ評議会のメンバ委員長という二重の役割を利用することで次第に権力を自分に集中していった。同時に、クデター直後からチリ全土支配恐怖に陥れた秘密警察DINA(チリ国家情報局)を自らの直属の組織として創設することで、自分に敵対する者たちを脅すこができた<ref name=":0" />。こうして徐々に独裁体制を固めていくピノチェトを見た空軍のレイ将軍は「クーデターに加わるのが遅かったくせに全権を掌握しているかのように振る舞っている」としてピノチェトを批判したが、1978年に軍事評議会から追放された<ref name=":0" />
 
=== 左翼狩り ===