「マイケル・フィニスィー」の版間の差分

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この時期のフィニスィーは作曲と演奏の両面で、次世代の教育へ強い関心を示すようになった。第二期に書き直された「シュトラウス・ワルツ(1989)」は[[ジョナサン・パウエル]]や[[ニコラス・ハッジス]]といった当時20歳前後のピアニストに献呈されており、また、現在も盛んに活躍していることからも、才能の目利きの鋭さを伺える。その他にも[[1966年]]から[[1996年]]までの全ピアノ曲演奏に踏み切った[[イアン・ペイス (ピアニスト)|イアン・ペイス]]、[[イヴァ・ミカショフ]]最高の弟子と称えられる[[ジェイムズ・クラッパトン]]、[[ロルフ・ハインド]]、イギリス人史上二人目の[[現代音楽対象ガウデアムス国際演奏コンクール]]優勝者の[[フィリップ・ハワード(ピアニスト)|フィリップ・ハワード]]、[[ステファン・グートマン]]など、高精度で現代作品を演奏できるピアニストが次々とイギリスから現れる。この全てのピアニストがフィニスィー演奏に何らかの形で関っており、かつての[[フェルッチョ・ブゾーニ]]が多くのピアニストを育てた事情に近似している。
 
[[イアン・ペイス (ピアニスト)|イアン・ペイス]]の覇気に打たれた彼は、全曲五時間以上を要するピアノ独奏のための「音で辿る写真の歴史(1995-2001)」を完成<ref>{{Cite web |url =http://openaccess.city.ac.uk/2875/ |title =Michael Finnissy's "The History of Photography in Sound": A Study of Sources, Techniques and Interpretation |publisher =openaccess.city.ac.uk |date = |accessdate =2019-04-01 }}</ref>させ、ペイスの手で全曲初演がなされた。「音で聞く自叙伝」とも語られるこの作品は、自らの人生そのものの描写がかつてほどには激することなく続いてゆく。全十曲の中の最終曲「描き出された陽光を伴う輝き」に至ってはフィニスィーのピアノ音楽の頂点に位置するほどの、響きの純度の高い書法が認められる。この頃から作曲の弟子の国際的な活躍を目の当たりにすることも増え、[[1998年]]にはイギリス人では史上二人目の[[ISCM]]名誉会員に選出された。CDのリリースもMETIERから体系的に出され、音でこの作曲家の真価を確認できる比率が飛躍的に高まった。
 
非常に緻密にパート同士の一致を確定する書法へ固執する一方で、「無頓着な裸(2001)」等のアンサンブル作品では1970年代のようにスコアを持たず、パート間の入りを演奏者同士で決定する柔軟な姿勢に結実している。