「美輪明宏」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
28行目:
== 略歴 ==
=== 長崎時代(1935年5月15日- 1951年) ===
[[1935年]]([[昭和10年]])[[5月15日]]、[[長崎県]][[長崎市]]において、丸山作一
[[1945年]]([[昭和]]20年)[[8月9日]]、雲1つない快晴の日、長崎県長崎市本石灰町にある自宅において、美輪明宏(10歳)は窓際で夏休みの宿題に[[御伽草子]]の「[[万寿姫]]」の絵を製作していた。自身が製作した絵の仕上がりを確認するため、2、3歩後方に下がった時、[[原子爆弾]]が長崎県に投下された。何千もの[[マグネシウム]]を焚いたような白い光だった。美輪明宏は、雷光かと思い、天気の良い日なのにと不思議に思う。しかし、直後には、世界が息を止めたような深い静寂に包まれるのを実感したと言う。その直後に、激しい爆発音が聞こえ、家がぐらぐら揺れて傾いた。お手伝いに促され2人で布団をかぶると[[空襲警報]]が鳴りだし、その後爆風で机の下に飛ばされていた兄を起こし3人で防空壕に向かうが、景色が一変していることを知る。隣接する劇場は天井が崩れ落ち、[[勤労奉仕]]の[[女子挺身隊]]の宿舎は形を残していなかった<ref name="yomiuri">[[讀賣新聞]][[2015年]][[8月9日]]「戦後70年あの夏9」美輪明宏</ref>。
37行目:
=== 歌手 丸山明宏 ===
[[エンリコ・カルーソー]]や[[ベニャミーノ・ジーリ]]の様な[[オペラ]]歌手、コンサート歌手を夢見て、[[1951年]]の春、美輪明宏(15歳)は、国立音楽高等学校(現・[[国立音楽大学付属高等学校]])進学
翌[[1952年]]、美輪明宏(17歳)は、新宿駅で寝泊りしていたが、[[銀座]]7丁目にある[[シャンソン]]喫茶「[[銀巴里]]」([[1951年]]~[[1990年]])の美少年募集の張り紙広告をきっかけに、シャンソン喫茶「銀巴里」との専属契約を交わし、[[歌手]]デビューを飾る。国籍・年齢・性別不詳として売り出す。
|