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'''オセロ''' ('''Othello''') は、2人用の[[ボードゲーム]]。交互に盤面へ石を打ち、相手の石を挟むと自分の石の色に変わり最終的に石の多い方が勝ち。単純なルールながらゲームとしての複雑さは人間が[[ゲーム木]]の全展開を把握可能な程度を超えており、いまだにコンピュータによる全解析は達成されていない。“A minute to learn, a lifetime to master”(覚えるのに1分、極めるのは一生)がオセロの[[キャッチフレーズ]]である<ref name="example">長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』([[河出書房新社]]、2011/07) ISBN 9784309909134</ref>。
'''オセロ''' ('''Othello''') は、それぞれ黒と白を担当する2人のプレイヤーが、自分の色の石で相手の色の石を挟んで自分の色に変えるという条件のもとに、交互に盤面へ石を打っていき、最終的にどちらの色の石が盤面に多く置かれるかを競う[[ボードゲーム]]である。
 
[[二人零和有限確定完全情報ゲーム]]に分類され、[[囲碁]]・[[将棋]]・[[チェス]]などと同様、運の要素がなく、2人のプレイヤーが互いの知恵を絞って実力だけを頼りに勝敗を決するゲームである。単純明快なルールでありながら、人間が[[ゲーム木]]の全展開を把握可能な程度を超えており、[[コンピュータ]]が発達した[[2019年]]現在でもなお完全解析がなされていないほどの奥深さがある。このことを端的に表した「'''覚えるのに一分、極めるのに一生''' (A minute to learn, a lifetime to master)」という言葉が[[キャッチフレーズ]]となっている<ref name="example">長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』[[河出書房新社]]、2011年。</ref>。
 
「オセロ」「Othello」は[[メガハウス]](旧・[[ツクダオリジナル]])の[[登録商標]]であるため、他社製品ではほぼ同一のゲームであっても原則として別の名称が使われる。例として、「'''リバーシ''' ('''Reversi''')」や「'''白黒ゲーム'''」などの別名がある。ただし、本来リバーシはオセロの原型となったゲーム、あるいはよく似た別のゲームの名前であり、オセロの別名ではない(詳しくは後述する)。また、[[日本放送協会|NHK]]でもかつては同様の理由から「'''白と黒の石を取り合うゲーム'''」などと言い換えていたが、2018年の世界オセロ選手権では「オセロ」と報道するようになっている<ref>この他、NHKでは、2010年頃から『[[ギネス世界記録]]』、2017年頃から『[[ミシュランガイド]]』などの商標も使われている。</ref>。
 
== 概要 ==
オセロは、一般にゲームの基本ルールのみならず、名称や用具のデザインまでをも含めたパッケージ全体を指す。このパッケージは、製薬会社社員でボードゲーム研究家の'''[[長谷川五郎]]'''が[[1970年]]頃に[[東京都]]で開発し、[[1973年]]に[[ツクダオリジナル]](現・[[メガハウス]])から発売されたものである。ゲームの基本ルール自体は、それ以前に考案されたものと同様であり、オセロの原型は、'''ジョン・モレット'''(John Mollett)と'''ルイス・ウォーターマン'''(Lewis Waterman)が[[19世紀]]に[[イギリス]]で考案した'''リバーシ'''というゲーム、あるいは[[1945年]]に幼少期の長谷川本人が[[水戸市]]で考案した'''挟み碁'''というゲームのどちらかとされる。リバーシと挟み碁のうち、どちらが直接的なオセロの発祥であるのかについては、長谷川自身の発言が一定しないため、不明である。
 
オセロは、それぞれ黒と白を自分の色とする2人のプレイヤーが交互に盤面に石を打ち合って、最終的に自分の色の石の数が多いほうが勝ちとなる。この際、自分の色の石で挟むことによって相手の色の石を自分の色に変えることができるというのが最大の特徴である。オセロでは、素早く盤上の石の色を変更できるようにするため、表裏が黒白に塗り分けられた平たい石を用いる。また、盤面は、8×8の正方形のマス目が描かれた緑色のものを用いる(なお、「グランドオセロ」や「エイトスターズオセロ」などと呼ばれる8×8以外の特殊な盤面を用いるものもある)。
 
「オセロ」という名称は、[[イギリス]]の劇作家・[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の[[戯曲]]『[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]』に由来する。これは、緑の平原が広がるイギリスを舞台にして、黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るという戯曲のストーリーに、緑の盤面上で黒白の石がひっくり返って形勢が変わっていくゲーム性をなぞらえたものである<ref>[http://www.othello.gr.jp/column/1780 オセロ誕生秘話(3)〜オセロファンのエネルギーがオセロのビックバンを作った!!〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)]</ref><ref name="example" />。
 
オセロの競技人口は、 長谷川によると2001年頃の時点で約6000万人である<ref>長谷川五郎 『オセロの勝ち方 [改訂新版]』 [[河出書房新社]]、2006年。</ref>。 公益財団法人日本生産性本部余暇創研が発行している『[[レジャー白書]]』によれば[[将棋]]の競技人口は約600万人、[[囲碁]]の競技人口は約220万人、[[チェス]]の競技人口は調査対象外となっており、これらを上回っていると長谷川は主張している。ただし、『レジャー白書』では一年以内に実際に遊んだ者を競技者として数えている一方、長谷川はオセロのルールを知る者すべてを競技者として推計しているため、同じ条件で比較されたものではない。
 
元ツクダオリジナルの和久井威は、オセロがロングセラーとなった要因に対象年齢が幅広いことを挙げている<ref>和久井は、「夫とオセロをして勝つと夫の機嫌が悪くなり、「待った」をされて結婚以来初めて口答えをした」という87歳の女性の投書が『朝日新聞』に載ったという話を紹介している。</ref><ref name="tj"/>。実際に、小学校の教室、[[老人ホーム]]、[[老人福祉施設|デイサービス]]センターなどにもオセロ盤が設置されてることがあり、休み時間の子供たちや高齢者もゲームを楽しんでいる<ref>参考資料:[[2006年]][[7月17日]]付[[フジサンケイ ビジネスアイ]]「“脳内革命”でオセロ人気 高齢者が熱視線、売れ行き好調」。</ref>。なお、2019年2月現在、確認されている最高齢競技者は日本の[[田中カ子]](116歳)である。
 
== 遊び方 ==
[[画像:Othello.PNG|frame|right|オセロの初期配置。図示したように右下が白石になるよう置く。(White to Right)]]
=== 基本ルール ===
=== 基本的なルール ===
[[画像:Othello.PNG|frame|right|オセロの初期配置]]
一言で言えば、プレイヤーは「'''石を黒白交互に挟むように打ってひっくり返し、最後に石が多い方が勝ち'''」となる。
# 2人のプレイヤーがそれぞれ黒番と白番のどちらを担当するかを決める(後述)。
# 図のように、盤面中央の4マスに黒と白の石を2つずつ置く。右上と左下が黒、左上と右下が白になるように互い違いに配置する。
# 黒番、白番の順で交互に自分の色の石を打っていく。この際、'''相手の色の石を自分の色の石で縦・横・斜めのいずれかの方向で挟めば、挟まれた石をひっくり返して、自分の色に変えることができる'''。
# 石を打つときは、相手の色の石を1つ以上挟むように打たなければならない。挟めるマスが1つもない場合はパスとなり、相手の手番となる。パスの回数に制限はないが、挟めるマスがあるのにパスをすることは認められない。
# すべてのマスが石で埋まるか、あるいは両者ともに挟めるマスがなくなったときは、ゲーム終了(終局)となる。'''終局時点で両者の色の石の数を数え、多いほうが勝ちとなる'''。なお、同数だった場合には、引き分けありの対局では引き分け、引き分けなしの対局では黒番・白番の決定時に「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」(後述)を得ていた側の勝ちとなる。
 
具体的には次の通りゲームを進めていく。
=== 黒番・白番 ===
# 8×8のマス目の緑色のオセロ盤に、図のように右上を黒として、石を黒白2個ずつ置き、ゲームを開始する。
オセロは黒と白の石を用いるが、プレイヤーの手番は、'''黒を担当するプレイヤーが[[先手]]、白を担当するプレイヤーが[[後手]]'''というように色と合わせて定められている。手番を含めた両プレイヤーの地位をそれぞれ黒番・白番と呼ぶ。
# プレイヤーは交互に黒石、白石を'''打つ'''。石は両面が白と黒になっており、石を打つとき、縦・横・斜め方向に相手色の石を自色で挟み、挟まれた石を自色に'''返す'''。相手の石を返すことができないマスに石を打つことはできない。
# 打てるマスが全くない場合は'''パス'''となり、相手が続けて打つことになる。パスの回数に制限はないが、返せる相手の石が1つでもある場合、パスをすることは認められない。
# 最後まで打って、石が多い方が勝ちである。なお最後とは「マスが全て埋まった場合」「両者とも打てるマスがなくなった場合」のいずれかである。
 
=== 白番・黒番の決定方法 ===
黒番・白番は、ゲーム開始前に何らかの方法で決定する必要がある。一般的には[[じゃんけん]]などの簡易な方法で決められることもあるが、公式ルールでは、「伏せ石」と呼ばれる[[囲碁]]の[[ニギリ]]に近い方法が採用されている。伏せ石のやり方は、[[引き分け]]ありの対局と引き分けなしの対局でそれぞれ異なっており、以下のように決まっている。
オセロは先手が黒、後手が白である。
 
公式ルールにおける黒白の決定は「伏石」という[[ニギリ]]に近い方式で行われる。
# まず、上位者が石一つを手で隠して盤上に置く。
[[引き分け]]を認めない場合は、段級位が上の者が石を1個、相手に見えないように手で隠して盤の上に置き、上面の色を相手が当てる。的中であれば的中させた者が、不的中の場合は石を隠した者が「黒番・白番を選ぶ権利」、あるいは「石の数が同数で終局した場合に勝者となる権利」のどちらかを選択する。
# 次に下位者が引き分けの有無によって以下の方式で宣言を行う。
引き分けを認める場合は、同様に段級位が上の者が石を隠し、相手が上面を選択してその面の色の手番を持つことになる。引き分けを認めるか否かは大会によって異なる。
#* 引き分けありの場合は、下位者は「上」もしくは「下」と宣言する。
#* 引き分けなしの場合は、下位者は「黒」もしくは「白」と宣言する。
# 下位者の宣言が終わったら上位者は石を隠していた手をどけて石を開示する。
# 石の上面が黒白どちらであるかを確認し、引き分けの有無に応じて以下の通り黒番・白番を決定する。
#* 引き分けありの場合は、開示された石の上面・下面の色のうち、下位者は宣言した側の色を担当する。すなわち、下位者が「上」と宣言したときは開示された石の上面の色、「下」と宣言したときは開示された石の下面の色を下位者が担当する。
#* 引き分けなしの場合は、一方のプレイヤーには「黒番・白番を選ぶ権利」、他方のプレイヤーには「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」が与えられる。下位者が宣言した色と開示された石の上面の色とを照らし合わせ、的中している場合は下位者、的中していない場合は上位者が、どちらの権利が欲しいかを選択することができる。最後に黒番・白番を選ぶ権利を得た側のプレイヤーが黒番と白番のどちらにするかを選ぶ。
 
オセロは黒白の有利不利はコンピュータでは解析されていない。
なお、理論上オセロはコンピュータによる完全解析がなされれば黒番必勝・白番必勝・引き分けのいずれかの結論が下せるはずであるが、未だに結論は出ておらず、黒番と白番のどちらが有利であるかは不明である。上位のプレイヤーの中には、パスがなければ最後に打って自分の色の石の数を増やした状態で終局を迎えられるという理由から、白番が有利であるとする者も多いが、黒番が[[定石]]を主導できることがあるため、黒番を得意とする者もいる。
終局までパスがない場合、最後に打てるのは白なので白有利とする選手もいるが、黒番は[[定石]]を主導できることが多く、黒を得意とする選手もいる。
 
=== ハンデのつけ方 ===
実力差がある場合には[[ハンディキャップ|ハンデ]]をつける方法としは、対局することも前に'''隅'''に次の通り黒石を置く方法行われる。ハンデ戦では、実力差に応じて次のように盤面隅に場合は下手が置いた状態からゲーム、上手が白を持つが、上手先手で対局を開始する。
 
* 1子局―左上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
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* 4子局―4か所全ての隅に黒石を置いて対局を開始する。
 
== オセロの歴史 ==
ハンデ戦の場合は下手が黒番を、上手が白番を持つが、通常の対局とは異なり、'''白番(上手)の先手'''で対局を開始する。
=== 概要 ===
オセロは、1973年4月に茨城県水戸市の[[長谷川五郎]]が考案したとされ、この年の日本の大ヒット商品の一つとなる(年代流行1973年(昭和48年)流行・出来事https://nendai-ryuukou.com/1970/1973.html<nowiki/>)。
 
この時が現在世界で普及しているオセロとしては世界初との意見もあれば、リバーシ(Reversi)・源平碁等の名前で以前からあったものであるとの意見もある。
== 歴史 ==
=== オセロの起源 ===
現在普及しているオセロのパッケージは、日本オセロ連盟元会長の[[長谷川五郎]]が[[ツクダオリジナル]]に持ち込んで[[1973年]]に発売されたものである。長谷川がオセロを開発するに至った経緯については本人の説明が二転三転しており、定かではない。特に、オセロのルーツについては、
 
オセロの名称の由来は[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の戯曲「[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]」で、「黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るというストーリーに、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々変わっていくゲーム性をなぞらえた。緑の盤面は、戯曲オセロの戦いの舞台、イギリスの緑の平原をイメージして作った」と日本オセロ連盟のサイトにコメントが記載されている<sup>[4][1]</sup>。このネーミングは長谷川五郎の父親で、旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった[[長谷川四郎 (英文学者)|長谷川四郎]]によるものである。
* ジョン・モレットとルイス・ウォーターマンが[[19世紀]]に[[イギリス]]で考案した'''リバーシ'''というゲームがオセロの原型であり、長谷川がリバーシの基本ルールを維持しつつ名称・用具・環境などを整備してパッケージとして確立したものがオセロである。
* [[1945年]]に中学生時代の長谷川本人がリバーシとは独立に[[茨城県]][[水戸市]]で考案した'''挟み碁'''というゲームがオセロの原型であり、結果的にリバーシと似通ったゲームとなってはいるが両者は無関係である。
 
=== オセロの成立 ===
という2つの説がある。長谷川は、オセロのパッケージが発売された当初は前者の説明をしていたが<ref>長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。</ref>、[[2000年]]頃からは後者の説明をするようになっている<ref>長谷川五郎著『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。</ref>。また、日本オセロ連盟の公式見解も同様であり、当初は前者の立場であったが、長谷川からの指摘を受けて後者の立場に改めている<ref>[http://hasera.blog.jp/archives/4179585.html オセロノート 長谷川五郎氏のご冥福をお祈りいたします]</ref>。
日本オセロ連盟HPオセロ誕生秘話(http://www.othello.gr.jp/column/1028<nowiki/>)にオセロの成立の詳細が記載されている。以下その内容を記載する。
 
オセロの原型は[[第二次世界大戦]]が終わって間もない頃、[[茨城県]]の[[水戸市]]で生まれたゲームで「黒板をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれ、長谷川はその後、中学・高校・大学にわたって、級友とプレイしていたが、大学卒業によってその機会がなくなり一旦姿を消すことになった。
'''リバーシについては後述'''するとして、ここではひとまず挟み碁を起源とする説に依拠した歴史を紹介する。
 
その後1964年当時、[[製薬会社]]の営業として仕事をしていた長谷川は、会社の同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた<ref>なお、『オセロゲームの歴史』では、会社の同僚の女子社員から頼まれたのがきっかけとしているが、このあたりの経緯については長谷川の発言が一定しておらず、病院の患者の時間潰しのために頼まれたのがきっかけであるとしている書籍もある。</ref>。最初は[[囲碁]]や[[将棋]]を教えたが<ref>なお、長谷川は囲碁・将棋ともに五段の腕前である。</ref>、難しすぎるとのことで上手く行かず、そんな折に少年時代に考案した簡易囲碁ゲーム・挟み碁のことを思い出した。そこで、自宅で妻と家庭の[[牛乳瓶]]の紙蓋<ref>なお、オセロの石のサイズ(約35ミリメートル)は、牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じである。これは、当初牛乳瓶の紙蓋を利用してプレイしていたことに由来する。</ref>を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった。
=== 挟み碁 ===
近年の長谷川の主張によれば、オセロのルーツは、[[第二次世界大戦]]が終わって間もない[[1945年]]の夏に水戸市で長谷川が考案した簡易囲碁ゲーム「挟み碁」である<ref>日本オセロ連盟のサイトには長谷川の談話として「[[黒板]]をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれました。」と記載されている。[http://www.othello.gr.jp/column/1028 オセロ誕生秘話(1)生い立ち (日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)]</ref><ref name="example" />。なお、水戸市はこれに基づいて「オセロ発祥の地」を自称し、オセロにまつわる様々なイベントを開催している。
 
さらに、営業先の[[病院]]でもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しや[[リハビリテーション]]に使えるとのことで好評を博した。長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという<ref>初期の全日本オセロ選手権大会の実力者に病院関係者が多いことはこのような経緯による[http://www.othello.gr.jp/column/1446 オセロ誕生秘話(2)〜オセロゲームの歴史はファンと共に歩むことによって作られて行った〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)]。また、オセロ発売前に開かれた「第1回選手権大会」に来た客にも、長谷川の縁でファンとなっていた病院関係者が多かったという。</ref><ref name="example" /><ref>長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』(河出書房新社、2005/12) ISBN 4309906559</ref>。
長谷川によれば、当時の長谷川は'''相手の石を囲んだら取れる'''という囲碁のルールがよく分からなかったため、'''相手の石を挟んだら取れる'''という簡易ルールで遊んでいた。その後、石を取るのではなく、'''相手の石を挟んだら自分の石と置き換える'''というルールに改良し、現在のオセロに近いものとなった。さらに、自分の石と置き換える作業を簡単にするため、碁石ではなく表裏を黒白に塗り分けた紙の石を裏返すというアイデアに至った。
 
手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。当初は自作の8×9の盤を使っていたが、1970年10月頃、[[メルク (ドイツ)|メルク社]]([[西ドイツ]]の製薬会社)から[[チェス]]セットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川はこの8×8の[[チェスボード|チェス盤]]を採用して、チェス盤に合った牛乳瓶の紙蓋を使用するようになった。さらに、当初は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した<ref>井上博『逆転の発見 ― オセロの定石と必勝戦術』[[ネコ・パブリッシング|企画室ネコ]]、1977年10月10日、66頁。なお、長谷川は、1964年に同僚の女子社員に教えた時点から現在と同じ8×8盤を使用していたと主張している。</ref>。これにより、現在のオセロと同様のゲームが成立した。
長谷川は、中学・高校・大学にわたって、このゲームを級友とプレイしていたが、大学卒業によってその機会がなくなり、挟み碁は一旦姿を消すことになった。
 
完成したゲームには、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった[[長谷川四郎 (英文学者)|長谷川四郎]]の発案により、「オセロ」という名称が与えられた。これは、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の[[戯曲]]『[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]』に由来し、「黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るというストーリーに、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々変わっていくゲーム性をなぞらえた。緑の盤面は、戯曲オセロの戦いの舞台、イギリスの緑の平原をイメージして作った」と長谷川は説明している<ref>[http://www.othello.gr.jp/column/1780 オセロ誕生秘話(3)〜オセロファンのエネルギーがオセロのビックバンを作った!!〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)]</ref><ref name="example" />。
これが2000年頃から長谷川が主張するようになったオセロの起源である。ただし、1990年代以前の文献では長谷川はこの挟み碁について触れていない。
 
=== オセロの成立 ===
[[1964年]]当時、[[東京都]]で[[製薬会社]]の営業として仕事をしていた長谷川は、会社の同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた<ref>オセロ開発のきっかけについて、『オセロゲームの歴史』ではこのように説明しているが、取引先の病院に頼まれたのがきっかけであるとしている書籍もある。長谷川の発言が一定していないため、真相は不明である。</ref>。長谷川は[[囲碁]]・[[将棋]]ともに五段の腕前を誇り、最初はこれらのゲームを教えたが、難しすぎるとのことで上手く行かず、そんな折に少年時代に考案した挟み碁のことを思い出した。そこで、自宅で妻と家庭の[[牛乳瓶]]の紙蓋<ref>なお、オセロの石のサイズ(約35ミリメートル)は、牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じである。これは、当初牛乳瓶の紙蓋を利用してプレイしていたことに由来する。</ref>を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった。
 
さらに、営業先の[[病院]]でもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しや[[リハビリテーション]]に使えるとのことで好評を博した。長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという<ref>初期の全日本オセロ選手権大会の実力者に病院関係者が多いことはこのような経緯による[http://www.othello.gr.jp/column/1446 オセロ誕生秘話(2)〜オセロゲームの歴史はファンと共に歩むことによって作られて行った〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)]。また、オセロ発売前に開かれた「第1回選手権大会」に来た客にも、長谷川の縁でファンとなっていた病院関係者が多かったという。</ref><ref name="example" /><ref>長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』河出書房新社、2005年。</ref>。
 
手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。当初は自作の8×9の盤を使っていたが、[[1970年]]10月に[[メルク (ドイツ)|メルク社]]([[西ドイツ]]の製薬会社)から[[チェス]]セットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川はこの8×8の[[チェスボード|チェス盤]]を採用して、チェス盤に合った牛乳瓶の紙蓋を使用するようになった。さらに、当初は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した<ref>井上博『逆転の発見 ― オセロの定石と必勝戦術』[[ネコ・パブリッシング|企画室ネコ]]、1977年10月10日、66頁。なお、長谷川は、1964年に同僚の女子社員に教えた時点から現在と同じ8×8盤を使用していたと主張している。</ref>。これにより、'''1970年頃、東京で現在のオセロと同様のゲームが完成した'''。
 
完成したゲームには、英国文学の代表作である[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の[[戯曲]]『[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]』に由来して、「オセロ」という名称が与えられた。これは、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった[[長谷川四郎 (英文学者)|長谷川四郎]]の発案である。
 
=== 商品化とオセロブーム ===
[[1972年]]、長谷川が玩具メーカーのツクダオリジナルにオセロを持ち込んだところ、これが認められ、商品化されて販売されることになった<ref name="mnv1">{{Cite news|url=http://news.mynavi.jp/column/toyagain/007/|title=あの素晴しいトイをもう一度 第7回 オセロ(1) - パッケージにタバコ? 大人向けだったオセロ|newspaper=マイナビニュース|author=野口智弘|date=2007-02-20|accessdate=2017-04-02}} ここでは和久井は「製品として発売するまでには1年近くかけてます」と述べている。</ref><ref name="tj">「特別企画 和久井威氏ロングインタビュー その2」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、pp.72-74。このインタビューでは持ち込みは「(昭和)47年の年末」と述べている。</ref>。商品企画部門の責任者だった和久井威によると、当時玩具に対してキャラクター以外の[[ロイヤリティー]]を払うという意識が業界にはほとんどなく、オセロにも[[特許|パテント]]は付いていなかったが、ツクダオリジナルのオーナーは「おもちゃはアイデアだから」と支払を認めたという<ref name="tj"/>。また、玩具業界には子供向けのボードゲームは4人以上で遊べるべきという意識があったため、2人用ゲームであるオセロは大人をターゲットとしてパッケージ表面[[たばこ|タバコ]]や[[ライター]]をたデザインが採用されたている<ref name="mnv1"/>。価格は2200円に設定された<ref name="tj"/><ref name="mnv2"/>。
 
[[1973年]][[4月25日]]<ref>『国産はじめて物語 Part2<1950〜70年代編> 戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2004年7月7日、143頁。</ref>(1973年[[4月29日]]とする資料もある<ref>日本オセロ連盟編『図解 オセロ入門』虹有社、1983年、13頁。</ref>)、「オフィシャルオセロ」が発売された。その初期ロットは在庫を残さないよう3千個で、経費の都合でテレビ宣伝も打たなかったものの、[[百貨店]]の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった<ref name="tj"/><ref name="mnv2">{{Cite news|url=http://news.mynavi.jp/column/toyagain/008/|title=あの素晴しいトイをもう一度 第8回 オセロ(2) - 最初はたった3000個、オイルショックを乗り越え世界へ|newspaper=マイナビニュース|author=野口智弘|date=2007-02-28|accessdate=2017-04-02}}</ref>。これに自信を得た和久井はその年の年末商戦に向けてテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]([[ドンキーカルテット]]のジャイアント吉田を起用)を製作し、オンエア後の10月からの3ヶ月間で38万個、翌[[1974年]]に120万個以上<ref>和久井は2年目(1974年)の販売個数について、『トイジャーナル』では「160万個」、マイナビニュースでは「120万個」と述べている。</ref>、[[1975年]]に280万個が売れ、『日経流通新聞』(現『[[日経MJ]]』)の[[ヒット商品番付]]で2年連続で「[[大関]]」に選出される人気商品となった<ref name="tj"/><ref name="mnv2"/>。
 
1977年に[[アメリカ合衆国]]でも発売され、その年のうちに100万個が売れたという<ref name="mnv2"/>。なお、「A minute to learn, a lifetime to master」のキャッチフレーズは、この時にアメリカ側で考案されたものである<ref name="mnv2"/>。また、1973年から全日本オセロ選手権大会が開催されていたが、アメリカでの発売が開始された1977年からは世界オセロ選手権大会も始まった。
 
[[2002年]]、ツクダオリジナルは[[バンダイ]]の子会社となり、[[2003年]]3月には和久井が経営する[[ワクイコーポレーション]]と経営統合して[[パルボックス]]となった。さらに[[2005年]]には、パルボックスは[[バンダイ]]の子会社[[メガハウス]]に統合し、[[2019年]]現在はメガハウスがオセロを販売している。なお、アメリカではゲイブリルが最初の販売元だったが<ref name="mnv2"/>、その後数社の変遷を経て、2007年時点では[[マテル]]が欧米での販売権を所有している<ref name="mnv2"/>。
 
和久井によると2007年時点でもオセロは年間40から50万個は売れ続けているという<ref name="tj"/>。
 
== リバーシ(源平碁) ==
=== 概要 ===
オセロとよく似たゲームに'''リバーシ'''('''Reversi'''、'''レヴァルシー'''、'''源平碁''')がある。
 
リバーシは、[[1870年]]にイギリスのジョン・モレット(John Mollett)が考案した'''アネクゼイション'''というボードゲームを改良して、[[1883年]]にイギリスのルイス・ウォーターマン(Lewis Waterman)が開発した。アネクゼイションとリバーシは、盤面の形などが異なる。なお、モレットとウォーターマンとの間で権利関係の争いがあり、訴訟となったが、アネクゼイションとリバーシは細部に違いがあるものの「挟んだら裏返す」というゲームの本質部分において同一であることが認定され、モレットが勝訴している。リバーシは[[1888年]]に商品化され、早くから日本にも輸入された<ref>読売新聞に「源平智慧競(げんぺいちえくらべ)が日本橋3丁目の丸善より発売された」という記載がある。</ref><ref>加藤周一ほか『世界大百科事典 第2版』[[平凡社]]。</ref>。幼少期の[[上皇明仁]]も父の[[昭和天皇]]とリバーシで遊んでいた<ref>NHK「天皇 運命の物語」第一話 2018年12月23日放映。</ref>。
 
このほか、オセロに先行する類似ゲームとしては'''ニップ'''と呼ばれるものもある<ref>長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。</ref>。これは、円形の盤面を用いるという点にオセロとは異なる特徴があるが、どのような経緯で生まれたものか詳細は明らかになっていない。
 
=== オセロとリバーシの違い ===
オセロとリバーシの最大の違いは、オセロは黒白の石を用いるが、リバーシは原則として'''赤黒の石'''を用いるという点である<ref>既述の通り、オセロという名称は、シェイクスピアのオセロで黒人と白人が出てくることをモチーフにしており、オセロでは黒白以外の石を用いることはできない。</ref>。ただし、リバーシの石の色は厳格に決まっていなかったため、赤黒以外の色のものも存在している。例えば'''オセロ発売以前'''の1969年にイギリスで刊行された書籍に黒白のリバーシが掲載されている<ref>Bell, R. C.『Board and Table Games From Many Civilizations』Oxford University Press、1969年。</ref>。また、日本では、源平碁という名前で源平の旗の色をモチーフにした[[紅白]]の石を使うこともあった。
 
'''ゲームの基本ルールについては、基本的にオセロと同様'''である。日本では、オセロが発売されるまでリバーシの統一団体がなかったため、
 
* 初期配置(ゲーム開始時に中央4マスに置く石を、互い違いとするか、横並びとするか、あるいは自由に選択できるものとするか)
* 打てる箇所がない場合の扱い(パスになるのか、即座に負けになるのか)
 
などについて、いくつかのローカルルールが存在していた<ref>市販の源平碁(リバーシ)に添付されたルール説明を確認すると、[http://kazika-koubou.at.webry.info/201110/article_9.html 骨董市で見つけた源平碁の小箱]では、初期配置が横並びとなっているが、[https://ameblo.jp/sakaguchiothello/entry-12406836985.html 坂口和大が所有している源平碁は3種類になった]では、初期配置が互い違いとなっている。</ref>。リバーシが考案された当初の正式なルールは不明だが、'''[[1907年]]に編纂された『[[世界遊戯法大全]]』では現在のオセロと完全に同一のルール'''(初期配置は互い違い、打てる箇所がなければパス)が定められている<ref>松浦政泰 編『世界遊戯法大全』博文館、1907年。</ref>。なお、盤面の大きさについては、8×8が標準とされているが、パーフェクト・リバーシという名前で10×10のものも販売されていた(この点は、8×8を標準としつつ10×10の盤面をグランドオセロという名前で販売しているオセロと全く同様である)。
 
=== オセロとリバーシの関係性 ===
オセロとリバーシとは類似したゲームであるため、オセロは先行するリバーシに基づいて開発されたのか、それとも別々に考案されたものが偶然似ただけなのかという点がしばしば議論される。この点については、オセロ開発者の長谷川五郎の説明が一貫しないため、真相は不明である。
 
[[1973年]]にツクダオリジナルからオセロを発売した当初、長谷川は'''リバーシがオセロの原型'''であると認めたうえで、'''名称・用具・環境などを整備したものがオセロ'''であるとしていた。長谷川は、ゲームの面白さは、ルールが3分の1、名称・用具・環境などの要素が3分の2を占めることを指摘し、後者が未整備であったリバーシは子供の玩具以外の何物でもなかったが、オセロはすべてを整備して大人でも遊べるゲームとして完成させたものであるとアピールしていた<ref>長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。「オセロの売れっぷり」実業の日本77巻5号、実業之日本社、1974年。</ref>。
 
それに対し、[[2000年]]頃からは、長谷川はリバーシに触れることなく、'''[[1945年]]に水戸で碁石を使って自身が考案した挟み碁がオセロの原型'''であると主張するようになっている<ref>長谷川五郎『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。</ref>。長谷川五郎が設立した日本オセロ連盟も同様であり、連盟の委員であった長谷川彰によると、連盟のウェブサイトには当初「オセロの起源はリバーシ」と明記していたが、会長の長谷川五郎からリバーシについて触れないように指示され、「戦後、水戸、碁石」という長谷川五郎による挟み碁を紹介する文章に改めたという<ref>[http://hasera.blog.jp/archives/4179585.html オセロノート 長谷川五郎氏のご冥福をお祈りいたします]</ref>。それまで、長谷川五郎は自身が考案した挟み碁の存在について言及していなかったため、長谷川彰は、長谷川五郎から突然「戦後、水戸、碁石」という話を聞かされて驚いたと述べている<ref>[http://hasera.blog.jp/archives/4065449.html オセロの起源に関する主張まとめ]</ref>。
 
このような経緯に基づき、'''オセロは長谷川とツクダオリジナルによるリバーシの盗作であると批判する専門家'''も一部に存在する。例えば、パズル・ゲーム研究者の[[田中潤司]]は、リバーシは大正時代から日本でも源平碁として親しまれており、玩具メーカーであるツクダオリジナルがこれを知らなかったわけがないから、悪意を持って名前を変えて発売したのではないかと指摘している<ref>都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』フリースタイル、2012年。</ref>。また、ボードゲーム研究者の[[草場純]]は、オセロとリバーシの違いは初期配置のみであるとしたうえで、長谷川が初期配置を互い違いに限定したのはリバーシの改悪であると厳しく批判している<ref>[https://twitter.com/kusabazyun/status/1109318099948298240 本人のTwitter]</ref><ref>[http://kusabazyun.banjoyugi.net/Home/reproductioned/theory/bunka ゲーム研究家・草場純さんの研究を収集するサイト「ゲームの受容とゲーム文化」]</ref>。
 
もっとも、事実関係は不明であるうえ、万が一盗作であったとしても、長谷川がオセロを発売した時点ですでにリバーシの開発者はこの世におらず、'''特に権利関係が問題視されることはない'''。また、発売当初に長谷川が主張していた通り、現在のオセロの興隆は、ゲーム性のみならず名称・用具・環境を伴った長谷川の構築したブランド力によるものであり、先行するリバーシを上回る世界的認知度を得ている。以上の理由から、オセロの原型をリバーシとする場合であっても、長谷川を中興の祖として位置付け、その功績を高く評価するのが一般的である。
 
=== オセロの別名としてのリバーシ ===
現在では、赤黒の石を用いる本来のリバーシはオセロと比べて競技人口が著しく減っており、代わって'''オセロの別名としてリバーシという言葉が使われることが増えている'''。アメリカオセロ連盟によれば、これは、オセロの[[商標権]]との抵触を避けるためにリバーシの名を借りてオセロと完全に同一(黒白の石)のゲームを販売するメーカーが存在するためである<ref>[http://usothello.org/faq/]</ref>。
 
1973年のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、黒白の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともに登録されて権利保護の対象となっていた。ゆえに、当時は、長谷川が商品化を持ち込み販売を応諾したツクダオリジナル以外の他社は、オセロの名称はもちろん、黒白の石を用いるデザインも無断で使用することができなかった。
 
[[1973年]][[4月25日]]<ref>『国産はじめて物語 Part2<1950〜70年代編> 戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2004年7月7日、143頁。</ref>(1973年[[4月29日]]とする資料もある<ref>日本オセロ連盟編『図解 オセロ入門』虹有社、1983年、13頁。</ref>)、「オフィシャルオセロ」が発売された。その初期ロットは在庫を残さないよう3千個で、経費の都合でテレビ宣伝も打たなかったものの、[[百貨店]]の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった<ref name="tj"/><ref name="mnv2">{{Cite news|url=http://news.mynavi.jp/column/toyagain/008/|title=あの素晴しいトイをもう一度 第8回 オセロ(2) - 最初はたった3000個、オイルショックを乗り越え世界へ|newspaper=マイナビニュース|author=野口智弘|date=2007-02-28|accessdate=2017-04-02}}</ref>。これに自信を得た和久井はその年の年末商戦に向けてテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]([[ドンキーカルテット]]のジャイアント吉田を起用)を製作し、オンエア後の10月からの3ヶ月間で38万個、1974年に120万個以上<ref>和久井は2年目(1974年)の販売個数について、『トイジャーナル』では「160万個」、マイナビニュースでは「120万個」と述べている。</ref>、1975年に280万個が売れ、『日経流通新聞』(現『[[日経MJ]]』)の[[ヒット商品番付]]で2年連続で「[[大関]]」に選出された<ref name="tj"/><ref name="mnv2"/>。
その後、[[意匠権]]は保護期間の20年が満了し、他社でもオセロと同様の黒白の石のゲームを販売することが可能となったものの、商標権は[[2019年]]現在も保護されているため、他社が販売する場合に「オセロ」の名称を使用することはできないままである。そこで、他社が販売する場合には、黒白の石を使用していても「リバーシ」の名称を使用することが一般的となっている(他に「白黒ゲーム」などとする場合もある)。
 
1977年に[[アメリカ合衆国]]で発売され、その年に100万個が売れたという<ref name="mnv2"/>。前記のキャッチフレーズは、この時にアメリカ側で考案されたものである<ref name="mnv2"/>。
リバーシという名称でのオセロと同様のゲーム(黒白の石を使用)は、インターネット上でのオンライン対戦を含むコンピュータゲームのほか、安価なポータブルゲームとしてコンビニエンスストアなど小規模な店舗などでも見られる(ただし石のサイズ等はオセロの公式規定とやや異なることもある)。[[Microsoft Windows]]には、リバーシという名称でのオセロが[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.0]]までは標準で付属されていたが、Windows 3.1以降は付属されなくなった。その後、[[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]]および[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]では再びゲームとして[[インターネット]]リバーシが付属されていたが、[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]以降では付属されなくなった。
 
オセロ盤のバリエーションは販売開始以後、順次追加されている。和久井によると2007年時点でも年間40 - 50万個は売れているという<ref name="tj"/>。
== バリエーション・派生ゲーム ==
オセロ盤のバリエーションは販売開始以後、順次追加されている。
{| class="wikitable"
! 発売時期!! 主なオセロ盤名 !! 特徴
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|}
 
また、[[視覚障害者]]向けに触って石を識別できたり、[[指]]の障害などで石をつまめない人が盤と一体化した石を回したりして楽しめるタイプ(上表の「大回転オセロ」もこれに該当する)も開発・発売されている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO38428140R01C18A2CR0000/ 【モノごころ ヒト語り】オセロ 誰もが楽しむ工夫で進化]『日本経済新聞』夕刊2018年12月1日(社会・スポーツ面)2018年12月3日閲覧。</ref>。
 
== 登録商標について ==
現在は[[コンピュータゲーム]]や[[スマートフォン]]ゲームが全盛の中、[[アナログゲーム]]の売上は減少しており、オセロもその例外ではない。アナログのボードゲーム販売強化手法の一つとして、オセロと他の家庭用ボードゲームを一緒にして販売されるケースも多い。この場合、オセロ石を活用して様々なバリエーションの派生ゲームが追加されるケースもある。
「オセロ」「Othello」はいずれも[[メガハウス]](旧[[ツクダオリジナル]])の[[登録商標]]であるため、他社やコンピュータ上の製品では「リバーシ」や「白黒ゲーム」などの名前が使われることも多い。リバーシという名前でのオセロと同様のゲーム(白黒の石を使用)は、インターネット上でのオンライン対戦を含むコンピュータゲームのほか、安価なポータブルゲームとしてコンビニエンスストアなど小規模な店舗などでも見られる(ただしコマ=石のサイズ等、オセロの公式規定とやや異なることもある)。
 
[[1973年]]のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、白黒の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともに登録されて権利保護の対象となっていた。ゆえに、当時は、長谷川が商品化を持ち込み販売を応諾したツクダオリジナル以外の他社は、オセロの名称はもちろん、白黒の石を用いるデザインも無断で使用することができなかった。
長谷川は、オセロの盤面を8×8から10×10に拡大した「グランドオセロ」、そこから四隅を切り落として8つの隅を持つ八角形状にした「エイトスターズオセロ」(旧称「88オセロ(エイティエイトオセロ)」)を考案して市場に送り出している。また、オセロの石を使って、マス目の少ない[[囲碁]]、[[おはじき]]、[[積木]]崩し、[[トランプ]]のチップ等で遊ぶケースもあるが、日本オセロ連盟が公式にルールを定めているものではない。
 
その後、[[意匠権]]は保護期間の20年が満了し、他メーカーでもオセロと同様の白黒の石のゲームを販売することが可能となったものの、商標権は現在も保護されているため、他社が販売する場合に「オセロ」の名称を使用することはできないままである。そこで、他社が販売する場合には、白黒の石を使用していても「リバーシ」の名称を使用することが一般的となっている(他に「白黒ゲーム」などとする場合もある)。
== 大会 ==
オセロは、全日本オセロ選手権大会<ref>[http://www.othello.gr.jp/data/champ.html 日本オセロ連盟HP 歴代世界チャンピオン一覧]</ref>([[1973年]]〜)や世界オセロ選手権大会([[1977年]]〜)など、幅広く大会が行われている。
 
== 競技人口 ==
=== 世界オセロ選手権 (World Othello Championship) ===
オセロの競技人口は、 2001年に長谷川が著した文献『オセロの勝ち方』 によると約6000万人と書かれている。 ただしこの競技人口は、ルールを知っている人全てが含まれており、参考扱いでもある。
第1回世界オセロ選手権大会は日本の[[東京都]]で開催された。また、10回、20回、30回、40回の記念大会はいずれも日本で開催されている。記念大会は、第20回大会までは[[長谷川五郎]]が[[1970年]]頃に現在のオセロのパッケージを開発した東京で開催されていたが、既述の通り[[2000年]]頃から長谷川が「オセロの発祥は[[1945年]]に[[茨城県]][[水戸市]]で自身が考案した挟み碁である」と主張するようになったことを受け、三十(みと)の語呂合わせとなる[[2006年]]の第30回大会を機に以降は水戸で開催されている<ref>2005年12月20日『日本経済新聞』朝刊44P記事「オセロ故郷・水戸へ帰る」。</ref>。なお、水戸市はこれ以降「オセロ発祥の地」を名乗っている。
 
2019年2月現在、確認されている最高齢競技者は日本の[[田中カ子]](116歳)である。
日本は同大会で2018年までに個人戦で31回、団体戦で16回の優勝を誇り、いずれも世界最多である。
 
[[将棋]](600万人:レジャー白書<ref>レジャー白書では将棋愛好者は約600万人。</ref>)や[[囲碁]](220万人:レジャー白書<ref>『レジャー白書』では囲碁愛好者は約220万人である。</ref>)、[[チェス]](『レジャー白書』では調査対象外。[[日本チェス協会]]のサイトで確認できる会員名簿では400人弱)などに比べると多いとしているが、定義を統一した調査が行われたわけではない。
現在は[[コンピュータゲーム]]や[[スマートフォン]]ゲームが全盛であり、これらでもプレイが可能なため[[アナログゲーム]]同士を比べる意味は低くなっている。
 
なお、休み時間の遊戯用として小学校の教室内にアナログのボードゲームであるオセロ盤や将棋盤などが置いてあるケースがよく見られている。また、オセロ盤を設置する[[老人ホーム]]や[[老人福祉施設|デイサービス]]センターが増え、ゲームを楽しむ高齢者も多くいる<ref>参考資料:[[2006年]][[7月17日]]付[[フジサンケイ ビジネスアイ]]「“脳内革命”でオセロ人気 高齢者が熱視線、売れ行き好調」</ref>。元ツクダオリジナルの和久井威はオセロがロングセラーとなった要因に対象年齢が幅広いことを挙げ、「夫とオセロをして勝つと夫の機嫌が悪くなり、「待った」をされて結婚以来初めて口答えをした」という87歳の女性の投書が『朝日新聞』に載ったという話を紹介している<ref name="tj"/>。
 
== オセロの販売メーカー ==
以下のように、何度かの変遷をたどっている。
 
* オセロの販売メーカーは、当初はツクダおよびその子会社の[[ツクダオリジナル]](1974年分社化)であった。
* [[2002年]]、[[ツクダオリジナル]]が[[バンダイ]]の子会社となる。
* [[2003年]]3月、[[ツクダオリジナル]]と、元ツクダオリジナル企画部長でありオセロを長谷川と共に立ち上げた和久井威が経営する[[ワクイコーポレーション]]が経営統合し、[[パルボックス]]となった。
* [[2005年]]、パルボックスは[[バンダイ]]の子会社[[メガハウス]]に統合し現在に至っている。
 
アメリカではゲイブリル社が最初の販売元だった<ref name="mnv2"/>。その後数社の変遷を経て、2007年時点では欧米の販売権は[[マテル]]が所有していた<ref name="mnv2"/>。
 
== 派生ゲーム ==
コンピュータゲームやスマホゲームが全盛の中、アナログのボードゲームの売上は減少しており、オセロもその例外ではない。
 
アナログのボードゲーム販売強化手法の一つとして、オセロと他の家庭用ボードゲームを一緒にして販売されるケースも多い。この場合、オセロ石を活用して様々なバリエーションの派生ゲームが追加されるケースもある。
 
長谷川は、オセロの盤面を8×8から10×10に拡大した「グランドオセロ」、そこから隅を切り落とし、八角形状にして8つの隅を持つ「エイトスターズオセロ(旧称『88オセロ〈エイティエイトオセロ〉』)」を考案して市場に送り出したが、これらはマイナーゲームの域を出ていない。
 
オセロの石を使って、マス目の少ない[[囲碁]]、[[おはじき]]、[[積木]]崩し、[[トランプ]]のチップ等で遊ぶケースがあるが、日本オセロ連盟が公式にルールを定めたものはない。
 
== コンピュータオセロ ==
{{Main|コンピュータオセロ}}
オセロにはルール上偶然の要素はない。[[ゲーム理論]]では、オセロは[[将棋]]、[[チェス]]、[[囲碁]]などと同じく[[二人零和有限確定完全情報ゲーム]]に分類される。
 
オセロはルールが単純であるため、古くから[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]の教材として、あるいは実際の製品としてコンピュータ上で開発されてきた。[[1980年]]には、家庭用ゲーム機である [[Atari 2600]]用のオセロが発売されている。また、[[メディアリーヴス|アスキー]]によりオセロプログラムを対局させる「マイクロオセロリーグ」が企画され、その模様は記事として掲載された。1986年には同社からオセロを題材とした思考ゲームのプログラミング解説書も出版された([[森田和郎|森田]]ら(共著)『思考ゲームプログラミング』)。
 
当初はコンピュータの性能が低かったため人間は容易にコンピュータに勝つことができた。しかし徐々に、特に終盤でコンピュータに読み切られて圧倒されるようになった。1997年に当時のオセロ世界チャンピオン村上九段がコンピュータに6連敗したことが転換期となり、現在、高性能のオセロプログラムには人間はまず勝つことができない。例えば無料オセロアプリケーションであるゼブラはパソコン及びスマホで利用できるが、極めて強く人間で勝てるのは世界チャンピオンクラス以外は存在しない。歴史順としては、探索空間の狭い順に[[チェッカー]]、オセロ、チェスにおいてコンピュータが人間のチャンピオンに勝利し、その後は将棋や囲碁が焦点になっていったが、現在では将棋・囲碁もコンピュータが人間のチャンピオンに勝利している。
 
チェッカーについては双方の最善手が解明されているが、オセロはまだ完全には計算されていないゲームの一つである。オセロの盤をn×nに一般化した場合、ある与えられた盤の状態においてプレイヤーが必ず勝つことができるかを判定する問題は[[PSPACE#PSPACE完全|PSPACE完全]]であることが分かっている。盤の大きさが4×4あるいは6×6のケースは全て計算されており、例えば6×6のケースについて双方が最善の手順を取った場合、16対20で後手が必勝となることがその手順とともに解明されている<ref>{{cite web|url=http://www.feinst.demon.co.uk/Othello/6x6sol.html|title=Perfect play in 6x6 Othello from two alternative starting positions|accessdate=2008-06-01}}</ref>。しかし8×8の局面数に対しては、現時点では最善手順は発見されていない。
 
== 世界大会等 ==
全日本オセロ選手権大会<ref>[http://www.othello.gr.jp/data/champ.html 日本オセロ連盟HP 歴代世界チャンピオン一覧]</ref>([[1973年]]〜)や世界オセロ選手権大会([[1977年]]〜)など、幅広く大会が行われている。なお第1回世界オセロ選手権大会は東京で行われているが、現在でも日本は世界最強国である。
 
[[2006年]]に行われた第30回世界オセロ選手権大会は、茨城県水戸市で行われた。これは水戸市が「オセロ発祥の地」であることを受け、三十(みと)の語呂合わせで開催が決まったものである<ref>2005年12月20日『日本経済新聞』朝刊44P記事「オセロ故郷・水戸へ帰る」</ref>。また水戸市では、2016年にも2回目となる第40回世界オセロ選手権大会が行われた。
 
=== 世界オセロ選手権(World Othello Championship) ===
{| class="sortable wikitable" style=font-size:small
! colspan=2|開催年
254 ⟶ 222行目:
| 第42回|| 2018年 || {{flagicon|CZE}} プラハ|| {{flagicon|JPN}} 福地啓介 ||{{JPN}}
|}
 
== コンピュータオセロ ==
{{Main|コンピュータオセロ}}
オセロはルールが単純であるため、古くから[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]の教材として、あるいは実際の製品としてコンピュータ上で開発されてきた。[[1980年]]には、家庭用ゲーム機である [[Atari 2600]]用のオセロが発売されている。また、[[メディアリーヴス|アスキー]]によりオセロ・プログラムを対局させる「マイクロオセロリーグ」が企画され、その模様は記事として掲載された。[[1986年]]には同社からオセロを題材とした思考ゲームのプログラミング解説書も出版された<ref>[[森田和郎|森田]]ら(共著)『思考ゲームプログラミング』。</ref>。
 
当初はコンピュータの性能が低かったため、コンピュータは人間の上級者には歯が立たなかった。しかし、ハードウェアの進歩とソフトウェアの改良に伴い、徐々に終盤でコンピュータの正確な読みが力を発揮するようになった。[[1997年]]、コンピュータオセロのプログラムであるLogistelloが、当時のオセロ世界チャンピオンだった[[村上健]](九段)と対局し、6勝0敗という圧倒的な成績を残した。それ以前からコンピュータオセロの実力は人間を超えていると考えられていたが、この対局によってこの事実が公式に確認された。主要なボードゲームでは、1994年に[[チェッカー]]、1997年に[[チェス]]、2017年に[[将棋]]と[[囲碁]]でコンピュータが人間の世界チャンピオンを破っており、これはおおむね[[ゲーム木]]複雑性の低い順と同様である。現在では、トップレベルのオセロ・プログラムに人間が勝つことはまず不可能と考えられており、それどころか例えばスマホで動作する無料のオセロ・プログラムであるゼブラであっても勝てる人間はほとんどいないとされている。
 
オセロの盤をn×nに一般化した場合、ある局面で黒番か白番のどちらが必勝であるかを判定する問題は[[PSPACE#PSPACE完全|PSPACE完全]]であることが分かっている。オセロよりも複雑性の低いチェッカーについては、双方の最善手がすべて解明されているが、オセロ(通常通り8×8の盤面を用いるオセロ)は[[2019年]]時点で未だに完全には解明されていない。盤の大きさが4×4あるいは6×6のケースは全て解明されており、例えば6×6のケースについて双方が最善の手順を取った場合、16対20で後手が必勝となることがその手順とともに明らかにされている<ref>{{cite web|url=http://www.feinst.demon.co.uk/Othello/6x6sol.html|title=Perfect play in 6x6 Othello from two alternative starting positions|accessdate=2008-06-01}}</ref>。
 
== 関連文献・資料 ==
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* 『オセロ』([[ゲームボーイ]]、[[河田]]、1990/2/9)
* 『究極のオセロゲーム』(アーケード、[[サクセス (ゲーム会社)|サクセス]]、1990) 
* 『オセロワールド』([[スーパーファミコン]]、ツクダオリジナル、1992/4/5) - 評論筋からは「単純に敵が強すぎて初心者に厳しい」と評されている<ref name="muri200">マイウェイ出版『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー ファミコン&スーファミ』 (ISBN 9784865119855、2018年10月10日発行)、70ページ</ref>。
* 『オセロワールド』(ゲームボーイ、ツクダオリジナル、1994/9/30)
* 『オセロダービー』(アーケード、サンワイズ、1995)