「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」の版間の差分

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'''ムスタファ・ケマル・アタテュルク'''<ref group="注釈">軍での階級に沿って、[[尉官]]までは、エフェンディ (Mustafa Kemal Efendi)、[[佐官]]時代は、ベイ (Mustafa Kemal Bey)、[[将官]]時代 (1916年3月19日以降)は、パシャ (Mustafa Kemal Paşa)、1921年9月19日以降は、ガーズィ(Gazi Mustafa Kemal Paşa)の敬称・称号が付けられる。 1934年11月24日から1935年まで、ケマル・アタテュルク (Kemal Atatürk)。 1935年の身分証明書には、カマール・アタチュルク (Kamâl Atatürk) と記載されている。また、日本では、'''ケマル・パシャ'''とも言われ、ケマル・アタチュルクと表記されることもある。<br />。</ref><ref group="注釈" name="honorific">「エフェンディ」および母ズュベイデや妻ラティーフェに用いられている「ハヌム」は姓名ではなく、トルコ語における一般的な敬称である。<br />「[[ベグ|ベイ]]」「[[パシャ]]」も当該記事のとおり一定の階級以上の者に用いられる称号 ({{仮リンク|ウンヴァン|tr|Unvan}}) であり、{{仮リンク|ガーズィ|tr|Gazi}}は帰還兵を意味する称号で、アタテュルクのそれに関してはトルコ大国民議会から贈られたものである。</ref>('''Mustafa Kemal Atatürk'''、[[1881年]]5月19日{{Efn|正確な生年月日は不明だが、1880年3月13日から1881年3月12日の間と考えて間違いはない。アタテュルクは公式には1881年と、祖国解放戦争開始の記念日、5月19日を自身の誕生日として用いていた。{{Sfn|Mango|2011|p=27([https://books.google.co.jp/books?id=cO50m62MA8AC&pg=PT27])}}}} - [[1938年]][[11月10日]])は、[[オスマン帝国]]の将軍、[[トルコ|トルコ共和国]]の元帥、初代[[トルコの大統領|大統領]](在任[[1923年]][[10月29日]] - 1938年11月10日)。[[スルタン制]]を廃止、[[共和国]]を樹立。トルコの近代化を推進し、議会からアタテュルク(「父なるトルコ人」)の称号を贈られた。[[トルコ独立戦争]]と[[トルコ革命]]を僚友たちとともに指導したことで知られる。
 
== 経歴 ==