「ジョン・ポラニー」の版間の差分

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m この稿に登場する主要人物の名前について、一般的に良く知られた英語読みを付加しておきました。これにより、特に化学分野に親しんだ者にとっては、人物を特定しやすくなったはずです。
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{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1986年|ノーベル化学賞|化学反応素過程の動力学的研究}}
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'''ジョン・チャールズ<!-- シャルル? -->・ポラニー'''(John Charles Polanyi, [[1929年]][[1月23日]] - )は、[[アシュケナジム|ハンガリー系ユダヤ人]]の[[カナダ]][[化学者]]。[[カナダ勲章]]受勲者、カナダ女王枢密院委員、カナダ王立協会会員、[[王立協会]]会員(1971年)、[[Ph.D.]]、[[理学博士]]。
 
== 来歴 ==
ハンガリー名は「ポラーニ・ヤーノシュ」('''Polányi János''')。彼は、[[ユダヤ人|ユダヤ系]][[ハンガリー人]]化学者の[[マイケル・ポランニー|ミハーイ・ポラーニ]](マイケル・ポランニー)とドイツ系ユダヤ人のマグダ・エリザベト・ケミニー・ポラーニの息子として[[ベルリン]]で生まれた。伯父には経済学者の[[カール・ポランニー|カーロイ・ポラーニ]](カール・ポランニー)がいる。
ハンガリー名は「ポラーニ・ヤーノシュ」('''Polányi János''')。
 
彼は、[[ユダヤ人|ユダヤ系]][[ハンガリー人]]化学者の[[マイケル・ポランニー|ミハーイ・ポラーニ]](マイケル・ポランニー)とドイツ系ユダヤ人のマグダ・エリザベト・ケミニー・ポラーニの息子として[[ベルリン]]で生まれた。伯父には経済学者の[[カール・ポランニー|カーロイ・ポラーニ]](カール・ポランニー)がいる。
 
[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]の台頭で危惧した一家は1933年に[[イングランド]][[マンチェスター]]に移住し、ポラニーはマンチェスター初等中学校と、父が勤めていた[[マンチェスター大学]]で学び、1952年に博士号を取得した。1952年にカナダに移り、カナダ国立研究所で働いた後、1956年には[[トロント大学]]に移った。1974年からは教授になり、同時にマシー大学のシニアフェローの職も務めた。
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1992年7月1日からはカナダ女王枢密院の委員になり、1979年にカナダ勲章を受章し、[[パグウォッシュ会議]]にも参加した。
 
[[赤外線]][[化学発光]]の技術が進歩するにつれ、[[反応速度論]]に関する知見が深まり、1986年には、[[ダドリー・ハーシュバック]]、[[李遠哲]]とともに、化学反応素過程の動力学的研究への貢献により[[ノーベル化学賞]]を授与されている。受賞に際して[[オンタリオ州]]政府は、毎年顕著な業績を挙げたオンタリオ在住の研究者を表彰する「ジョン・チャールズ・ポラニー賞」を創設した。この賞はノーベル賞と同じ分野に分かれ、2万ドルの賞金が支払われる。
 
1986年のノーベル化学賞受賞に際して[[オンタリオ州]]政府は、毎年顕著な業績を挙げたオンタリオ在住の研究者を表彰する「ジョン・チャールズ・ポラニー賞」を創設した。この賞はノーベル賞と同じ分野に分かれ、2万ドルの賞金が支払われる。1989年[[ロイヤル・メダル]]受賞。
 
2004年、彼は肖像画家のブレンダ・ベリーと結婚した。2005年、カナダ学術振興協会は、ユダヤ系カナダ人として、すばらしい研究者と技術者を表彰する「ジョン・C・ポラニー賞」を創設した。
 
== 受賞歴 ==
2005年、カナダ学術振興協会は、ユダヤ系カナダ人として、すばらしい研究者と技術者を表彰する「ジョン・C・ポラニー賞」を創設した。
*1978年 [[レムセン賞]]
*1982年 [[ウルフ賞化学部門]]
*1986年 ノーベル化学賞
*1989年 [[ロイヤル・メダル]]
 
== 外部リンク ==