「日大紛争」の版間の差分

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学生らの抗議運動は、当初は経済学部を中心にビラまきや数人規模の小さな討論会が行われていた。5月21日に経済学部の地下ホールで初めて数百人規模の討論会が行われ、23日には大学職員によってシャッターを下ろされて閉じ込められるなどの妨害を受ける。24日、体育会系学生が殴り込み地下ホールを占拠、討論会に参加していた学生たちは閉め出される。急きょ学生たちは校舎前に座り込み、千数百人規模で抗議集会を開始。法学部の学生二千人が合流し、錦花公園までデモ行進し、再び経済学部の校舎に戻り三号館前で抗議集会を行う。この経済学部の地下ホールから始まった討論会と抗議デモの先頭に立ったのが経済学部生の[[秋田明大]]であった。次の日、秋田は無届けの集会とデモ行進で処分されたが、それを知った文理学部では、抗議集会を開始、右翼学生の暴行を受けながらも下高井戸までデモ行進を続け、経済学部の抗議集会に合流。経、法、文合わせて5000人の規模の総決起集会となり、各学部ごとの闘争委員会設立と、
 
* 34億円使途不明金糾弾
* 処分白紙撤回
* 大衆団交要求
 
の、3つのスローガンが提起された。
・処分白紙撤回
 
・大衆団交要求
 
の、3つのスローガンが提起された。
この集会は全学部の学生にインパクトを与える事になり、5月27日には、経、文、法をはじめ、芸、商、理、農、歯、と各学部有志が経済学部校舎前での抗議集会に参加して、[[秋田明大]]を議長とする日本大学[[全学共闘会議]](日大全共闘)が結成され、改めて
 
# 全理事総退陣
# 経理の全面公開
 
# 集会の自由を認めよ
②経理の全面公開
# 不当処分白紙撤回
 
③集会の自由を認めよ
 
④不当処分白紙撤回
 
の4つのスローガンが確認される(後に検閲制度撤廃が追加される)<ref name="nichidaitoso">{{Cite news|title=日大闘争年表 (増補完全版) 「新版・叛逆のバリケード」|newspaper=[[三一書房]]|date=2008年9月30日刊行|url=http://www.geocities.jp/nichidainoutoui_1968/nenpyou-hanbari.html}}</ref>
 
===学生のストライキ===