「吹原産業事件」の版間の差分

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'''吹原産業事件'''(ふきばらさんぎょうじけん)とは、[[1965年]](昭和40年)[[4月21日]]に表面化した、[[三菱銀行]](現:[[三菱UFJ銀行]])を巻き添えにした超大型金融犯罪のことである。捜査の過程で[[田中彰治]]衆議院議員(当時)の汚職が発覚し、[[黒い霧事件 (政界)|黒い霧事件]]の発端ともなった事件である。(詳細は「[[黒い霧事件 (政界)#田中彰治事件]]」を参照)
 
==概要==
[[1964年]]の[[自民党総裁選挙]]は3選を目指す[[池田勇人]]と、これを阻止しようとする[[佐藤栄作]]が激突し、当時のカネで100億円以上が乱れ飛び、史上最もカネに汚れた総裁選挙といわれた<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.75 - 76</ref>。
 
[[池田内閣]]の[[官房長官]]を務め、池田の側近中の側近である[[黒金泰美]]は、この総裁選挙で[[池田派]]の資金作りを主担し、それを貸しビル会社・吹原産業社長{{Refnest|group="注"|東京・[[銀座]]に本社を置き、百人ほどの従業員をかかえ、吹原ビルの貸室、[[五反田]]のボーリング場、[[北海道]][[釧路市]]の温泉郷建設などを手掛ける。このうち釧路の温泉事業は資金繰りがつかず中止していた。吹原の逮捕後、[[不渡手形]]を出し1965年6月、事実上倒産<ref>「ペテン師はかない末路 倒産した吹原産業」『朝日新聞』1965年6月11日</ref>。}}の[[吹原弘宣]]と、森脇文庫を経営する[[森脇将光]]が手伝った。吹原は政財界の裏側をわたり歩いた[[フィクサー]]で、闇金融王の森脇とのつながりを売りに政界で人脈を広げ、設立した吹原産業で黒金は大株主として名を連ねた<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.76 - 77</ref>。
の吹原弘宣と、森脇文庫を経営する[[森脇将光]]が手伝った。吹原は政財界の裏側をわたり歩いた[[フィクサー]]で、闇金融王の森脇とのつながりを売りに政界で人脈を広げ、設立した吹原産業で黒金は大株主として名を連ねた<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.76 - 77</ref>。
 
黒金は資金集めに奔走するが、これまでの[[銀行]]や[[証券会社]]、鉄鋼メーカーから期待したほどのカネを集めることができなかった。その一方で、[[佐藤派]]には資金集めの天才である[[田中角栄]]がおり、中間派や無派閥にカネをばらまき、一本釣りを続けていた<ref name="tanaka79"/>。焦る黒金を尻目に、[[1964年]]10月16日、吹原は三菱銀行長原支店を訪れ支店長に「自民党が本部に持っている資金30億円を長原支店に預金したい。見返りに、三菱銀行の[[宇佐美洵]]頭取と黒金官房長官の間で60億円の融資が決まった。公にできないことなので、宇佐美頭取の腹心がいる、この支店が使われることになった」と言い、黒金の[[実印]]が押してある[[念書]]と[[印鑑登録|印鑑証明書]]を見せ、額面10億円と20億円の[[通知預金]]証書をだまし取った<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.112 - 113</ref>。
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森脇から536億円もの借金をしていた吹原は、同10月5日、返済の一部として[[大和銀行]](現:[[りそな銀行]])京橋支店が振り出した額面30億円の[[小切手|預金小切手]](預手)を森脇に差し出す。その2週間後、吹原は森脇のもとに行き「自民党総裁選挙のため黒金がカネを欲しがっている。先日渡した大和銀行の30億円の小切手を三菱銀行長原支店に通知預金して欲しい。そのかわり、三菱銀行の通知預金証書を預ける。三菱銀行の宇佐美頭取と黒金の間で政治的に60億円の融資が決まっているから、その証書で30億円を下ろすことができる」と告げる。[[1965年]]3月、森脇は通知預金証書を長原支店に持参し、30億円を現金化しようとするが、支店長から「それはだまし取られたもので、預金がないからおろせない」と拒否される<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.114</ref>。
 
[[東京地検特捜部]]は、1965年4月に吹原を翌月に森脇を[[逮捕]]する。森脇は、当初この事件に被害者として登場し、吹原から受け取ったという三菱銀行長原支店発行の通知預金証書、黒金の[[実印]]が押してある「黒金念書」を[[証拠]]として特捜部に提出。この「黒金念書」の実印は本物と確認された<ref name="tanaka79">『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.79</ref>。
 
特捜部は森脇は吹原と共謀して、吹原が預かっていた黒金の実印を悪用して「借りたカネを責任をもって返済する」と書き込んだ「黒金念書」を偽造した。「黒金念書」で相手を信用させ、三菱銀行長原支店から通知預金証書を詐取した。これを使いカネを脅し取ろうとしたが失敗したと見立て2人を[[起訴]]した<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.79 - 80</ref>。だが、この森脇を[[主犯]]とする筋書きには無理があり、森脇が主犯なら、なぜ、わざわざ偽造した「黒金念書」などを特捜部へ提出したのかは理解できないといわれ、[[東京高裁]]の[[控訴審]]判決でも念書偽造については「森脇が共謀したとは認められない」と吹原単独犯を示した。[[最高裁]]も二審の判断を支持し<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.80</ref>、[[1980年]]8月に吹原の[[懲役]]9年、森脇の懲役5年・[[罰金]]3億5000万円、森脇文庫の罰金4億5千万円の判決が確定した<ref>「吹原、森脇ら実刑確定 吹原産業事件」『読売新聞』1980年8月30日</ref>。この事件では[[児玉誉士夫]]が30億円の通知預金証書問題を解決するフィクサーとして登場し、検察側の[[証人]]として法廷に立ち「証言を変えるよう森脇と田中彰治から脅された」と述べている<ref>『田中角栄・真紀子の税金逃走』p.115 - 116</ref>。
 
[[実刑]]確定によって2人は[[収監]]されるが、森脇は翌年10月、病気のため[[執行停止]]となって[[出所]]、1989年12月に[[昭和天皇]]崩御に伴う特別[[恩赦]]で刑の執行免除され<ref>「宇野元代議士と森脇氏の大喪恩赦決まる」『読売新聞』1989年12月23日</ref>、1991年6月2日に死去した。また池田の側近で大成が期待された黒金もその後は目立った活躍もなくなり、[[第34回衆議院議員総選挙|1976年の総選挙]]で落選後、[[食道がん]]を患い政界から引退した<ref>「黒金泰美氏死去」『朝日新聞』1986年10月12日</ref>。
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