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新見の出自や前半生については殆ど分かっておらず、多くの文献では水戸藩出身と記されている。
 
『阿部家史料集 公余録』にある28歳という記述から逆算すれば、天保7年(1836年)の生まれであるとされる<ref>[[川澄次是]]編 [[児玉幸多]]校訂 『公余録 下 阿部家史料集 2』、1976年3月 [[吉川弘文館]] p471</ref>。時期は不明だが、 [[岡田助右衛門]]に剣を学び、神道無念流免許皆伝を授かる。腕前は「達人之趣ニ御座候」とする風説が残る<ref>[[小寺玉晁]]編『東西紀聞 第一』、日本史籍協会 1917年1月 p180</ref>。
 
文久3年(1863年)2月、[[清河八郎]]の周旋活動や[[松平忠敏|松平主税助]]の建策により、[[江戸幕府]]14代[[征夷大将軍|将軍]][[徳川家茂]]上洛の警護のために組織された[[浪士組]]に加盟し、三番組小頭になる。後に新選組を結成する芹沢や[[江戸]]・[[試衛館]]([[天然理心流]])の[[近藤勇]]も加盟していた。幹部の小頭に任じられたことから、既に名が知られた存在だったと考えられている。新見の組下には[[井上源三郎]]、[[沖田林太郎]]など5人の多摩系の天然理心流門人が配属された。