「防共協定」の版間の差分

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1937年に[[イタリア王国]]が原署名国として加盟し<ref name="日本と枢軸国" >{{アジア歴史資料センター|B13090857800|第二編 日本国ト枢軸諸国トノ条約関係/第三 防共関係}}</ref>、'''日独伊防共協定'''(にちどくいぼうきょうきょうてい)と呼ばれる三国協定となり、1939年には[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー王国]]と[[満州国]]、[[フランコ体制下のスペイン|スペイン]]が参加したことによって6カ国による協定となった。
 
しかし1939年8月23日締結の[[独ソ不可侵条約]]によって事実上の空文となった。しかし1941年5月の[[独ソ戦]]開始により反共という概念が再び利用され、11月25日には本協定の改定が実施されるとともに、[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]、[[ルーマニア王国]]、[[デンマーク]]、[[スロバキア共和国 (1939年-1945年)|スロバキア共和国]]、[[クロアチア独立国]]、[[フィンランド]]、[[汪兆銘政権|中華民国南京政府([[汪兆銘政権]]が加盟している。1945年5月の[[欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)#ドイツの降伏|ドイツの降伏]]によって事実上失効した。
 
== 背景 ==