「クロード・アヴリーヌ」の版間の差分

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1901年7月19日、[[フランス]]の[[5区 (パリ)|パリ5区]]に[[ユダヤ人|ユダヤ系]][[ロシア人]]であった[[両親]]の元に生まれる。両親はロシアでのユダヤ系に対する[[迫害]]ないし[[人種差別]]を逃れるためにフランスへ移住していた<ref>{{Cite book|title=Soldiers of the night: the story of the French Resistance |last= Schoenbrun|first= David|coauthors= |year= 1980|publisher= Dutton|location= |isbn= |page= |pages= |url=http://books.google.com/books?ei=t_VETN2KBo66OOna2LkI&ct=result&id=lWhkAAAAMAAJ&dq=%22claude+aveline%22jew&q=%22was+a+jew%22 |accessdate=}}</ref>。
 
[[1905年]]にフランス[[国籍]]を家族全員で取得し、アヴリーヌは[[ヴェルサイユ]]のオッシュ校 ([[:fr:Lycée Hoche|fr]]) やパリ5区の[[アンリ4世校]] ([[:en:Lycée Henri-IV|en]]) に入学したが途中両親が[[16区 (パリ)|パリ16区ヴェルサイユ]]に引越ししたため、同地ジャンソン・ドゥ・サイイオッシュ校 ([[:fr:Lycée Janson-de-SaillyHoche|fr]]) などで学んだに転校した同校在学中の[[1915年]]、<!--パリの[[大学]]に在学している時、→フランス語半端ではそのような記載無し-->[[ボランティア]]で[[第一次世界大戦]]の[[メディック]]を務めた。その後さらに、[[16区 (パリ)|パリ16区]]のジャンソン・ドゥ・サイイ校 ([[:fr:Lycée Janson-de-Sailly|fr]]) で学んだ。同サイイ校在学中、健康を害したため勉学を中断し、[[1918年]]から[[1919年]]にかけて[[南フランス|南仏]][[カンヌ]]近郊[[ル・カネ]]に移り住み、作家活動をする。
 
1919年、アヴリーヌの[[詩]]が[[マガジン]]に掲載され、フランスの詩人、小説家、[[批評家]]である[[アナトール・フランス]]と[[友人]]になり、[[メンタリング]]となった。