「ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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== 生い立ちと教皇即位 ==
ローマの支配者[[アルベリーコ2世]]([[932年]] - [[954年]])とイタリア王[[ウーゴ (イタリア王)|ウーゴ]]の娘アルダとの子で、本名はオクタヴィアヌスである。母方の血縁により[[フランク王国]]の王[[カール大帝]]の7世代の子孫に当たる。父アルベリーコがローマ貴族に誓わせた誓約に基づき、[[955年]][[12月16日]]、18歳の若さで教皇に即位した。しかしその教皇就任できたのも家柄の良さによるものであって、必ずしも個人的資質や信仰心によるものではなかった。
 
なお、即位した時に初代ローマ皇帝[[アウグストゥス|オクタヴィアヌス]]に由来する自身の名を教皇名とする事を躊躇ったのか、新たにヨハネスと改名している。