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| caption2 = 1983年に発売された[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]。当時としては先進的な機能を装備していたが、価格の高さから商業的には失敗した。
}}
[[1980年]]12月12日、アップルコンピュータは新規[[株式公開]](IPO)を行い、1956年に自動車会社[[フォード・モーター|フォード]]が行ったIPO以来となる記録的規模の資金調達を果たした{{sfn|O'Grady|2009|page=6}}<ref>{{Cite book |ref={{harvid|Dormehl|2012}}|first=Luke |last=Dormehl |year=2012 |title=The Apple Revolution: Steve Jobs, the Counterculture and How the Crazy Ones Took over the World |publisher=Random House |isbn=9781448131365}} p. 137</ref>。このIPOにより、ジョブズは約2億5,600万ドルの個人資産を手に入れた<ref>{{Cite book |和書 |ref={{harvid|シュレンダー|2016}}|author=ブレント・シュレンダー、リック・テッツェリ |translator=[[井口耕二]] |title=スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(上) |date=2016-09-23 |publisher=[[日本経済新聞出版社]]|isbn=978-4532321000}} p.104</ref>。経営面では、スコットがマークラとジョブズからの支持を失って社長兼CEOの辞任に追いやられ、1981年3月からマークラが後任として社長の座についた{{sfn|Linzmayer|2004|pages=15-16}}。スコットは1981年7月にアップルを退社した{{sfn|Linzmayer|2004|pages=15-16}}
 
株式公開に先立つ1980年5月、アップルはビジネス向けに特化された[[Apple III]]を発表し、巨大企業[[IBM]]に商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4,340–7,800ドルという価格設定の高さと、ハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥っていた{{sfn|O'Grady|2009|page=6}}{{#tag:ref|1985年の生産終了時点でApple IIIの合計販売台数は約6万5000台に過ぎなかった{{sfn|O'Grady|2009|page=7}}。|group="注"}}。他方、IBMは1981年8月に[[IBM PC]]を発表して[[パーソナルコンピュータ]]市場へ参入し、アップルとIBMの競争は激化した{{sfn|Linzmayer|2004|page=67}}{{#tag:ref|IBM PCの発売に際して、アップルは[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]に “'''Welcome, IBM. Seriously'''” と題する全面広告を出してIBMを挑発した{{sfn|Linzmayer|2004|page=68}}{{sfn|Swaine|2014|pages=434}}。|group="注"}}。
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ジョブズは[[1979年]]12月に[[ゼロックス]]の[[パロアルト研究所|パロアルト研究所(PARC)]]を見学しており{{#tag:ref|この見学はIPO前にアップル株を[[ゼロックス]]に売却することの交換条件としてアップル側が要求したものだった{{sfn|O'Grady|2009|page=7}}。|group="注"}}、そこで見た[[マウス (コンピュータ)|マウス]]によって操作される先進的な[[グラフィカルユーザインタフェース|グラフィカルユーザインタフェース(GUI)]]に強い印象を受けた{{sfn|O'Grady|2009|page=7}}。ジョブズは当時アップルで開発中だった次世代コンピュータ「[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]](リサ){{#tag:ref|Lisaの名前は、ジョブズが当時交際していた女性との非嫡出子の名前からとったとされているが、ジョブズ本人はその娘の名前からとったことは認めていない。|group="注"}}」にPARCで目にしたようなGUIを実装することを決意し、設計への介入を強めたが、Lisaプロジェクトはジョブズの過剰な介入によって混迷することとなり、ジョブズはスコットら経営陣の判断で1980年9月にLisaの開発チームから外された{{sfn|Dormehl|2012|page=180}}{{sfn|O'Grady|2009|page=70}}<ref>{{Cite book |ref={{harvid|Isaacson|2015}} |first=Walter |last=Isaacson |year=2015 |title=Steve Jobs |publisher=Simon and Schuster |isbn=9781501127625}} p. 110</ref>。
 
1981年、ジョブズとの対立を深めたスコットは社長兼CEOを辞任することとなり、同年7月にはアップルを去った{{sfn|Linzmayer|2004|pages=15–16}}。1981年3月からはマークラが暫定的CEOとなってい{{sfn|Linzmayer|2004|pages=15–16}}、ジョブズはスコットの後任として[[マーケティング]]に優れた経営者を連れてくる必要に迫られた。1983年、ジョブズは、1983年に[[ペプシコーラ]]から[[ジョン・スカリー]]を引き抜いてアップルの新CEOに就けたが、スカリーを説得する際にジョブズが用いた「''このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?''」というフレーズはのちに有名となった{{sfn|シュレンダー|2016|pages=122–123}}。他方、開発の遅れたLisaは[[1983年]]1月にようやく発売された{{sfn|O'Grady|2009|page=70}}。Apple IIIの販売不振が続き、主力製品であるApple IIも次第にIBM PCにシェアを奪われる中で、GUIやマウスなど革新的機能を備えるLisaへのアップルの期待は大きかったが、9,995ドルという極端な高価格と[[互換性|ソフトウェア互換性]]の欠如がユーザーを遠ざける結果となり、LIsaはApple IIIと同じく商業的な失敗作に終わった{{sfn|Linzmayer|2004|page=68}}{{sfn|O'Grady|2009|page=72}}。
 
=== Macintoshの発表 ===