「歓喜力行団」の版間の差分

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歓喜力行団は娯楽の「喜び」を通じて労働の「力」を回復させるための党組織で、[[1933年]]より音楽コンサート、日帰りから長期までの[[パッケージツアー]]、リゾート地やクルーズ船での保養など、それまで労働者階級には手が届かなかったような中産階級的レジャー活動を広く国民全体に提供した。[[バルト海]]の[[リューゲン島]]の砂浜にある巨大な保養施設[[プローラ]]や、数多くの大型クルーズ船(いわゆるKdF-Schiff)はその好例である。他の主要な渡航先として[[大西洋]]にある[[ポルトガル領]][[マデイラ島]]などが挙げられる。1934年から1939年の間に約4500万のパッケージツアーが販売しており、当時としては世界最大の[[旅行代理店]]とも評価されている<ref name=asahi11965834 />。当時配布された旅行パンフレットは[[ベルリン工科大学]]の観光歴史アーカイブに所蔵されている<ref name=asahi11965834 />。
 
歓喜力行団は単に国民へサービスを提供する組織ではなく、究極の目的は余暇活動を上流階級から下流階級まであらゆる大衆に格差なく提供し、[[階級]]ごとに分断されたドイツ人を[[階級闘争|階級対立]]のないひとつの「'''[[民族共同体]]'''」にまとめる橋渡しをすることであった。また「生の喜び」を肯定する余暇、スポーツ、演奏会、祭典などの機会を国民に提供することで、ナチスの理想とする力強さや美しさといった共同体の理念や存在を大衆に全身で理解させ信じさせようというものだった。ナチスの幹部はすでに戦争が回避できないと察知しており、労働者に休暇を与えることで低賃金でも不満を漏らさないようにするというガス抜きの意味もあった<ref name=asahi11965834 />。提供されるサービスは労働者にとって恩恵が大きく、ナチスに否定的な戦後世論でも歓喜力行団を懐かしむ者がいるという<ref name=asahi11965834 />
 
国民的余暇組織のアイデアは[[イタリア]]の[[ファシスト党]]の'''ドーポラボーロ'''(Dopolavoro、正式名称:全国余暇事業団 Opera nazionale dopolavoro、「仕事の後の余暇」を通じて労働者を[[ファシズム]]に親しませる組織)から借りたが、歓喜力行団はその活動を職場単位にまで拡張した。歓喜力行団は提供する活動を増やし、大衆の人気を博してドイツ最大級の組織となった。[[1939年]]までに7,000人の職員と135,000人の[[ボランティア]]が歓喜力行団のために働き、スポーツ、[[生涯学習]]、旅行、夕べの催しなどを管轄する部局に分かれていた。20人以上の労働者のいる工場にはすべて歓喜力行団の委員がいた。ある推計では、1939年までに2500万人以上が活動に参加したとされている。歓喜力行団は[[1939年]]にこれらの国民的活動をたたえられ、[[国際オリンピック委員会]]からオリンピック・カップを贈られた<ref>http://www.olympic-museum.de/awards/olympic_cup.htm</ref>。
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