「親善人形」の版間の差分

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== 親善人形を伴う交流の日本の事例 ==
[[File:Friendship Dolls.jpg|thumb|親善人形の一例。左と中央は1986年に[[カナダ]]と[[オーストラリア]]から贈られた人形で、右の2体はヨーコと呼ばれる人形(横浜人形の家・展示)]]
日本の場合、[[日露戦争]]以降はさまざまな親睦団体が出現し、文化の面での国同士の小規模な交流が行われてはいたが、スポーツの親善試合ほどの規模の交流はまだ実現されておらず、人形交流においても大正時代に[[ローマ法王庁]]に[[雛祭り]]の風習を知ってもらうために[[雛人形]]を献納したり、[[万国博覧会]]に人形を出品したりするなど、日本の文化を紹介する程度で、人形交流が本格的に行われるのはアメリカからの友情人形の贈答以降になる。人形交流は[[太平洋戦争]]以前に頻繁に行われ、下記後述の事例の他、昭和6年([[1931年]])4月8日に[[シャム|シャム国]]王族に[[市松人形]]が日本の皇后より寄贈されたのをはじめ、[[朝鮮]](1931年2月、民族間の交流として)や[[ハンガリー]]([[1933年]]8月)、[[アメリカ]]及び[[ブラジル]](同12月)、[[フィンランド]]([[1934年]]11月)、[[フランス]]([[1935年]]9月)、[[ドイツ]](同12月)・[[イタリア]]([[1937年]]12月)、[[アルゼンチン]]及び[[ウルグアイ]]([[1939年]])<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00160091&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null 世界海運の制覇へ 七洋を馳駆する日の丸商船 明年は七百万トンだ] - 大阪毎日新聞 1939年9月16日号([[神戸大学]] 電子図書館システム)</ref>などに市松人形や雛人形が贈られた。[[日本女子大学]]の校長の[[井上秀]]は、同校長を務め「[[青い目の人形]]」を通じてのアメリカとの友好を図った[[渋沢栄一]]に影響され、人形交流を重要視して海外に人形を贈り、返礼として、ドイツ([[1936年]])やフィンランド([[1938年]])から答礼人形を戴いている(人形は現在行方不明)<ref>日本人形玩具学会誌『かたち・あそび』第19号 2008年、『青い目の人形と日本女子大学校』増淵宗一・著、p.33~46。</ref>。
 
* '''日米交流の友情人形'''