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[[ファイル:David gegen goliath2.jpg|thumb|13世紀に描かれたダビデとゴリアテの絵]]
[[ファイル:Osmar Schindler David und Goliath.jpg|thumb|ダビデと対峙するゴリアテ]]
'''ゴリアテ'''({{Rtl翻字併記|he|גָּלְיָת|Golyat|n|区=、}})は、[[旧約聖書]]の「[[サムエル記]]」に登場する[[ペリシテ人]]の[[巨人]]兵士。[[英語]]発音で'''ゴライアス'''({{En|Goliath}})とも呼ばれる。
'''ゴリアテ'''({{Rtl翻字併記|he|גָּלְיָת|Golyat|n|区=、}})は、[[旧約聖書]]の「[[サムエル記]]」に登場する[[ペリシテ人]]の巨人兵士。身長は6[[キュビト]]半<ref name="17章" />(約2.9メートル<ref>ただし、[[七十人訳聖書|七十人訳ギリシャ語聖書]]版では「4キュビット半(約2m)」となっている。 同書のサムエル記の部分は日本語訳が2017年現在まだないが、フラウィウス・ヨセフスの『[[ユダヤ古代誌]]』(第6巻171節に該当の記述がある)はこの版を参考にしているので、そちらの日本語訳(『ユダヤ古代誌 2』秦剛平 訳、ちくま書房、1999年、P165)で確認は可能(表記はギリシャ語の「4ペークスと1スピタメース(約6フィート8インチ)」になっている。)。 なお筆者のヨセフスは4キュビット半でも「とてつもなく巨大な男」「怪物」とゴリアテを評している(同書同節)。</ref>)、身にまとっていた銅の小札かたびら([[鎧]])は5000[[シェケル]]<ref name="17章">{{cite web| title=第一サムエル記17章| url=http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible/o0917.html | accessdate=2010年8月27日}}</ref>(約57キログラム)、[[槍]]の鉄の刃は600シェケル<ref name="17章" />(約6.8キログラム)あったという。[[サウル]]王治下の[[イスラエル王国]]の兵士と対峙し、[[ヤハウェ|彼らの神]]を嘲ったが、羊飼いの少年であった[[ダビデ]]が[[投石器]]から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられ絶命した。この故事にちなんで、弱小な者が強大な者を打ち負かす[[喩え話|喩え]]としてよく使われる。
 
'''ゴリアテ'''({{Rtl翻字併記|he|גָּלְיָת|Golyat|n|区=、}})は、[[旧約聖書]]の「[[サムエル記]]」に登場する[[ペリシテ人]]の巨人兵士。身長は6[[キュビト]]半<ref name="17章" />(約2.9メートル<ref>ただし、[[七十人訳聖書|七十人訳ギリシャ語聖書]]版では「4キュビット半(約2m)」となっている。 同書のサムエル記の部分は日本語訳が2017年現在まだないが、フラウィウス・ヨセフスの『[[ユダヤ古代誌]]』(第6巻171節に該当の記述がある)はこの版を参考にしているので、そちらの日本語訳(『ユダヤ古代誌 2』秦剛平 訳、ちくま書房、1999年、P165)で確認は可能(表記はギリシャ語の「4ペークスと1スピタメース(約6フィート8インチ)」になっている。)。 なお筆者のヨセフスは4キュビット半でも「とてつもなく巨大な男」「怪物」とゴリアテを評している(同書同節)。</ref>)、身にまとっていた銅の小札かたびら([[鎧]])は5000[[シェケル]]<ref name="17章">{{cite web| title=第一サムエル記17章| url=http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible/o0917.html | accessdate=2010年8月27日}}</ref>(約57キログラム)、[[槍]]の鉄の刃は600シェケル<ref name="17章" />(約6.8キログラム)あったという。[[サウル]]王治下[[イスラエル王国]]の兵士と対峙し、[[ヤハウェ|彼らの神]]を嘲っが、羊飼いめ他より大型な生物少年であった[[ダビデ]]が[[投石器]]から放った石を額に受けて昏倒し種小名や乗り物など自ら巨大さ剣で首を刎ねられ絶命象徴とた。この故事にちなんで、弱小な者強大な者を打ち負かす[[喩え話|喩え]]としてよく使われている。
[[英語]]発音で'''ゴライアス'''({{En|Goliath}})とも呼ばれる。
 
[[サウル]]王治下の[[イスラエル王国]]の兵士と対峙し|彼らの神である[[ヤハウェ]]を嘲ったが、羊飼いの少年であった[[ダビデ]]が[[投石器]]から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられ絶命した。この故事にちなんで、弱小な者が強大な者を打ち負かす[[番狂わせ]]の[[喩え話|喩え]]を「ジャイアント・キリング」と呼ぶ。
 
== 概要 ==
ダビデとゴリアテの戦いは「第一サムエル記」第17章に記されている<ref name="17章" />。ペリシテ軍はエフェス・ダミムに陣を敷き、イスラエル軍は[[エルサレム]]の南西にある{{仮リンク|エラの谷|en|Valley of Elah}}に陣を敷き対峙した。ペリシテ陣営からゴリアテという巨漢の戦士が現れると「勇者を一人出して[[一騎討ち]]で決着をつけようではないか。もしお前たちが勝てばペリシテはお前たちの奴隷となる。ただし俺が勝てばお前たちはペリシテの奴隷となれ」と40日間、朝と夕の2回にわたってイスラエル兵たちを辱めた。しかしイスラエル兵はゴリアテに恐れをなし、戦いを挑もうとする者はいなかった。
 
羊飼いのダビデは、イスラエル軍に参加していた兄に食料を送り届けるために陣営を訪れていたが、この話を聞くと憤り、イスラエル軍を率いていたサウルにゴリアテの退治を申し出た。サウルは初めは難色を示したが、他に手段がなかったため、ダビデの出陣を許可した。サウルは自分の鎧と剣をダビデに与えたが、ダビデは「慣れていないので歩くこともできないから」とそれらを身に着けず、羊飼いの武器である杖と、投石器と、川で拾った滑らかな5個の石という軽装でゴリアテに挑んだ。
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{{Commonscat|David and Goliath}}
* [[アイン・ジャールートの戦い]] - アラビア語の「アイン・ジャールート」とは「ゴリアテの泉」という意味。
* [[投石]]
* [[番狂わせ]](ジャイアント・キリング)
* [[巨人症]]
* [[バイノ・ミリリンヌ]] - [[スウェーデン軍]]の元兵士。身長は251cmで確実な記録が残る最も背の高い兵士。
 
{{DEFAULTSORT:こりあて}}