「鍵屋の辻の決闘」の版間の差分

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又右衛門が半兵衛を倒したとき、逆上した河合側の小者が又右衛門の背後から木刀で打ちかかってきた。又右衛門は腰に一撃を受けたともいわれ、さらに撃ちかかるところを振り向いて刀で受けたが、刀身が折れてしまった(この刀は[[伊賀守金道]]とも[[和泉守金道]]ともいわれる。どちらも[[慶長]]以降に作刀された[[日本刀#江戸以降|新刀]]である)。
 
事件後に藤堂家に預けられている際、藤堂家の家臣で刀術の[[新陰流]]を修め、戸波流を興した[[戸波親清|戸波又兵衛親清]]は「大切な場合に折れやすい新刀を用いるとは、不心得である」と批評したという。これを聞いた又右衛門は不覚を悟り、寛永12年(1635年)10月24日、数馬を伴って戸波に入門した。入門の時に書いた誓詞が現存している。
 
== 鍵屋の辻の現状 ==