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[[ファイル:Avicenna-miniatur.png|thumb|right|200px|[[イブン・スィーナー]]。『医学典範』を著した博学な医師であると同時に東方イスラム世界を代表する哲学者としても多くの仕事を残した。]]
[[ファイル:Kharaghan.jpg|200px|right|thumb|「ハラガーン双子塔」。1067年に建てられたこの建築は、セルジューク朝の二人の王子の墓廟であり、二つの塔にわかれているのでこの名がある。この塔のある[[ガズヴィーン]]は[[イラン]]の[[カスピ海]]南岸の街で、近郊には「暗殺教団」[[ニザール派]]の[[アラムート]]要塞もある。]]
[[File:Assassination of Nizam al-Mulk.jpg|270px|right|thumb|[[ニザームルムルク]]暗殺。セルジューク朝の君主[[マリク・シャー]]に仕え、宰相として善政を行い『統治の書』の執筆でも知られるが、最後は宮廷の内紛に巻き込まれ暗殺された。画像は『[[集史]]』の写本の挿絵。]]
[[ファイル:Egyptian - Lusterware Plate with Bird Motif - Walters 482036.jpg|200px|right|thumb|商業都市[[フスタート]]。ファーティマ朝の政治的な首都はカイロであったが、その近郊にあったフスタートが商工業の中心地であり貿易の中心地でもあった。画像はフスタートの工房で造られた[[ラスター彩]]陶器で独特な色彩と光沢が特徴的である([[メリーランド州]][[ボルチモア]]の[[ウォルターズ美術館]]蔵)。]]
[[ファイル:Astrolabio andalusí Toledo 1067 (M.A.N.) 04.jpg|thumb|right|200px|[[イスラム科学|イスラム天文学]]。9世紀から始まったイスラム科学の興隆は10世紀から11世紀に一つの頂点を迎えた。画像はイベリア半島で作成された1067年の記名がある「{{仮リンク|アル・サーリのアストロラーベ|es|Astrolabio de al-Sahlî}}」(スペイン国立考古学博物館蔵)。]]