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{{出典の明記|date=2019年9月28日 (土) 06:54 (UTC)}}
'''関東取締出役'''(かんとうとりしまりしゅつやく、かんとうとりしまりでやく<ref>[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目電子辞書版、『関東取締出役』の項</ref>)は[[江戸幕府]]の役職。[[勘定奉行]]配下。[[文化 (元号)|文化]]2年([[1805年]])に設置された。
 
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[[江戸時代]]後期には[[関東地方|関八州]]([[上野国|上野]]・[[下野国|下野]]・[[常陸国|常陸]]・[[上総国|上総]]・[[下総国|下総]]・[[安房国|安房]]・[[武蔵国|武蔵]]・[[相模国|相模]]一円)において[[無宿]]人や[[浪人]]が増加して[[治安]]が悪化していたものの、[[天領]]([[幕府直轄領]])や[[所領|私領]]([[飛地|飛び地]]、諸大名領、[[地方知行|旗本領]]、寺社領など)が各地に散在していたため広域的な[[警察]]活動が難しい状況になっていた。
 
関東取締出役は関八州の天領・私領の区別なく[[パトロール|巡回]]し、[[治安]]の維持や[[犯罪]]の[[捜査|取り締まり]]に当たったほか、[[風俗|風俗取締]]なども行っている。但し[[御三家]]である[[水戸藩|水戸家領]]などは管轄外とされた。<!--水戸藩内部と結びついた博徒には湊一家、小柳一家、助川一家があり、天狗党と協力したのは鯉淵一家がある。-->
 
関東取締出役は[[代官]]所の吏員である[[手代]]・手付から任命した。彼らを支援するための下級役人として[[岡っ引|目明し]](道案内)が主要な[[町]][[村]]毎に任命された。
 
元々、村々では無宿・浪人対策として組合村を結成することで治安維持を行っていたが、[[文政]]10年([[1827年]])2月には関東取締出役の甫諸補助組織として改革組合村の編制が行われ、数十か村の村々が大組合・小組合に編制された。
 
関東取締出役は身分上は[[足軽]]格という比較的下層な身分であるにも関わらずかなりな権勢を誇っていたようで、本来は上級[[武士]]にしか許されない[[駕籠]]を乗り廻し大勢の従者を引き連れて廻村するなど弊害も大きかった。俗に「泣く子も黙る」と言われるほど、恐れられた存在であったという。