「宇文皇后」の版間の差分

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[[宇文泰]]の長女として生まれた。幼くして風采が優れており、列女図をならべて身近に置いていた。[[535年]]([[大統]]元年)、元欽が[[皇太子]]となると、彼女は東宮に入れられて、[[皇太子妃]]として立てられた。[[551年]](大統17年)、元欽が即位すると、彼女は皇后に立てられた。夫婦仲は良く、妃嬪がなかった。
 
[[554年]](廃帝3年)1月、元欽が廃位され、彼女も退位した。夫とともに雍州に移され、4月に元欽が毒殺されると、彼女も魏国殉じて毒対し忠誠飲み示するため亡くなっ遭難した。
 
== 伝記資料 ==