「伊勢湾台風」の版間の差分

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被災者数は全国で約153万人に及んだ。うち、三重県は約32万人、愛知県は約79万人と、県全人口の約2割が被災した。
 
南寄りの暴風で、海水が[[熊野灘]]・[[伊勢湾]]・[[三河湾]]の最奥部に吹き寄せられ、[[和歌山県]]南部から愛知県までの広い範囲で高潮による浸水が発生し、名古屋市[[南区 (名古屋市)|南区]]付近では、1か月以上も水が引かなかった地域があった。[[File:IsewanKutsuzuka.jpeg|250px|thumb|名古屋市南区の浜田南公園に建つ殉難慰霊之碑。伊勢湾台風による冠水が引いたのち、この場所に遺骸と靴が多く残されたことから、通称の「靴塚」で知られている。この碑の建つ宝小学校(当時)の学区では台風により107307人が死亡した。]]
 
名古屋市南部(南区、[[港区 (名古屋市)|港区]])および隣接する[[海部郡 (愛知県)|海部郡]]南部([[蟹江町]]、[[飛島村]]、弥富町(現・[[弥富市]])、[[十四山村]](同市)など)、[[知多郡]]北部([[大高町]](現・名古屋市[[緑区 (名古屋市)|緑区]])、[[上野町 (愛知県)|上野町]](現・[[東海市]])など)は[[江戸時代]]に遠浅の海を干拓してできた新田で、海面下2 - 3メートルの土地もあったため、高潮により、いったん海岸堤防が破壊するとひとたまりもなく水没した。これら低地の復旧のためには、まず堤防を完全に作り直したうえでポンプにより海水を排水しなければならなかったため、水没地域が完全になくなったのは被災から半年経った翌年3月下旬であった。その間、多くの世帯の[[汲み取り式便所]]の汚水があふれ出たままとなり、また、孤立した人々の排泄物も停滞するなど、[[公衆衛生]]が著しく悪化した。同年10月6日には早くも次の台風16号が東海地方などを通過し、[[岐阜県]][[養老郡]][[養老町]]で豪雨により田畑が水没するなどの被害が出た。水が引いたあとの[[5月]]には[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]津波が発生し、台風が通過した東北地方太平洋側と三重県南部を中心に再び被災した。