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社会学などで研究、議論の対象となるヨーロッパの近代化は、特にその初期において、プロテスタント革命によって強力な後押しを得たものだとする見解がある。
 
その最も有名な説は[[マックス・ヴェーバー]]による『[[プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神]]』に展開されたもので、[[清教徒]]など禁欲主義的なピューリタニズムが支配的な国家において、[[労働者]]が合理的に[[効率性]]、[[生産性]][[発展|向上]]を追求する傾向を持っていたことが指摘されている。ヴェーバーによれば、プロテスタントの教義上、すなわち自らに与えられた職業を[[天職]]と捉えるルターの思想と、それに加えてカルヴァンによる予定の教理(二重予定説)によって、貧困は神による永遠の滅びの[[予兆]]である反面、[[現世]]における成功は神の加護の証であるとされたことから、プロテスタント信者、特に禁欲的ピューリタニストは、自分が滅びに定められたかも知れないという怖れから逃れるために、自らの仕事に一心不乱に(ヴェーバーはここで「痙攣しながら」というドイツ語を用いている<ref>[[折原浩]]『ヴェーバー学のすすめ』[[未来社]]、2003年{{要ページ番号|date=2019年9月}}</ref>)打ち込むことで、自分が神に救われる者のひとりである[[証 (キリスト教)|証]]を[[認識|確認]]しようとしたという[[心理]]があるという。なお、社会心理学者の[[エーリヒ・フロム]]も、『自由からの逃走』の第3章「宗教改革時代の自由」において、ウェーバーの説を援用しながら、そのような心理が権威主義的なものであることを分析し、ファシズムと同様の権威主義的な要素が古プロテスタンティズムに既に内包されていたとする見解を示している。
 
また、[[ダニエル・ベル]]は『[[資本主義]]の[[文化_(代表的なトピック)|文化]]矛盾』で、このような[[合理主義]]の精神が、芸術におけるモダニズムの運動と共に、[[近代社会]]のあり方を[[定義|規定]]した主要因であったとする。また、[[1960年]]代以降、[[消費]]社会と結びついたモダニズムの[[シンパ|影響]]力が拡大し、プロテスタンティズムに由来する近代の[[合理主義]]を脅かしているとも診断する。
 
プロテスタントと近代の関わりについてはもうひとつ、異なる側面を扱った説があり、やはり広く知られている。教会に赴いて他の教徒と一緒に説教を聞いたり、[[賛美歌]]を歌うことによって信仰を実践していたカトリックに対して、プロテスタントは当初、個々人が聖書を読むことを重視した。集団で行う儀式に比べて読書は個人中心の行動であるため、一部の論者はこれを近代社会に特有な[[個人主義]]と結び付けて考える<ref>ルイ・デュモン (1993){{要ページ番号|date=2019年9月}}</ref>。
 
== 参考文献 ==
*『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳 ISBN 4-905913-46-2 1993年
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳 ISBN 4-905913-46-2 1993年
 
== 関連項目 ==
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