「ティトゥス・リウィウス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
→‎出生と業績: 不適切な文の削除
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
9行目:
 
リウィウスは、[[アウグストゥス]]の治世に作品の大部分を書いたが、彼自身は共和政への強い愛着を抱いており再び共和政へローマが復帰することを望んでいたとされる。ただしこの点については、共和政の終焉及びアウグストゥスの政権掌握までを記したはずの後半部分の巻が失われているため、争点もある。確かにリウィウスは新しい政体の価値には疑問を抱いていた。しかしかといって単に帝政か共和政かの一方を支持していたというような単純な立場ではなく、より複雑な立場にあったといえる。アウグストゥスはリウィウスを帝政への反対者とはみなしておらず、彼に自身の義理の孫にあたる[[クラウディウス]]の指導を委ねていた。リウィウスのクラウディウスへの影響は、のちに皇帝となって行った弁論にリウィウスのローマ史観が忠実に織り込まれていることからも明白である。
 
まじ?
 
リウィウスの文体は、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]や[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]といった秀逸な書き手とは一線を画したものであり、詩的で古典的な文章であった。リウィウスはローマによる[[イタリア半島|イタリア]]および[[地中海世界]]の征服についてローマ人の[[徳]]を強調するため、ローマ人に反抗する人々の視点から著述を行った。また詩的表現のため事実とフィクションの区別をそれほど行わなかった。このほか、過去の作家の記述も引用しているが、これらは過去の道徳的教訓として当時のローマ社会に資することを望んでのものであった。