「弦楽四重奏曲第5番 (バルトーク)」の版間の差分

m
編集の要約なし
m
1920年代のバルトークは急進的に[[無調]]へ突き進んでゆく作風の作品を書き上げ、弦楽四重奏曲[[弦楽四重奏曲第3番 (バルトーク)|第3番]](1927年)、[[弦楽四重奏曲第4番 (バルトーク)|第4番]](1928年)はその典型的な作例となっている。しかし1930年に書き上げられた「カンタータ・プロファーナ」では、[[三和音]]による終止など伝統的な[[和声]]への回帰の傾向が見られるようになり、同年から翌1931年にかけて作曲された[[ピアノ協奏曲第2番 (バルトーク)|ピアノ協奏曲第2番]]でその傾向は一層顕著になる。これは、バルトークが協奏曲を大衆にアピールする音楽であると考えていたためであるが、より内省的な音楽であると考えていた弦楽四重奏曲においても、三和音の使用は控えられてはいるものの、この傾向と無縁ではあり得なかった。
 
弦楽四重奏曲第5番は、5つの楽章からなるが、両端の楽章がいずれも変ロのユニゾンで終わるなど[[中心音]]が明確となっており、また[[全音階]]的進行が支配的である点など、先行する弦楽四重奏曲からは著しい変化を示している。また[[特殊奏法]]の使用も前作に比べ控えめで、穏健で端正な印象を与える音楽となっている。しかし一方で、弦楽四重奏曲第4番同様、楽章構成はアーチ形式のシンメトリカルな構造([[回文]]構造とも称される)となっており、独自の様式感に、より清澄な音響を盛り込んだ、いわゆる晩年様式を予言する作品とも言われる。
 
==作曲年==
67

回編集