「Tu-144 (航空機)」の版間の差分

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** {{cite web|language=ru |trans-title=50 years from the first flight of the Tu-144 |accessdate=2019-02-04 |url=http://www.tupolev.ru/upload/iblock/c43/Sborka_Tu-144_1_polet12%20(1).mp4 |title=50 лет с первого полета Ту-144 |date=2019-02-04 |publisher=Tupolev |archiveurl=|archivedate=}} - Tupolev公式動画{{ru icon}}
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== 製造と運用 ==
[[File:1973 06 Bourget TU144 (13).jpg|thumb|220px|1973年のパリ航空ショー。この後展示飛行で墜落した]]
Tu-144は、その大きさやカタログ性能面ではコンコルドをほぼ全ての面で凌駕していたが、アエロフロートしか採用しておらず運行時期は短い。12度致命的な[[航空事故|墜落事故]]を起こしている。
 
[[1973年]][[6月3日]]には、SSSR-77102号機が[[パリ航空ショー]]に参加。展示飛行では、旋回を交えてはるかに大胆な飛行を披露したもののパリ郊外の[[ル・ブルジェ空港]]北側の村落に墜落し、乗員6名および地上の住民7名が犠牲となっている。皮肉にもこの航空ショーには最大のライバルであるコンコルドも参加しており、このライバルのお膝元での惨事であった<ref>{{Cite web |date=2018.01.02 |url= https://www.cnn.co.jp/style/design/35109440.html|title=ソ連版超音速旅客機「コンコルドスキー」、なぜ短命に終わったのか? |publisher= CNN|accessdate=2018-10-08}}</ref>。
 
また[[1978年]][[5月23日]]には、試験飛行中のTu-144Dの機内で火災が発生し不時着するという事故が発生した。この便には乗客は搭乗していなかったが、Tu-144の旅客輸送に大きな打撃を与えた。{{main|1978年Tu-144不時着事故}}
 
その後、唯一の運航者[[アエロフロート]]で貨物便としての運航が開始されたが、コンコルドをもはるかに上回る劣悪な燃費性能のため間もなく運航が中止され、旅客便としての運航はわずか102便で終わった<ref>外部リンク欄の各サイトや当時の時刻表などによれば、一時期旅客仕業に就いていたことは事実のようである</ref>。