「戦列歩兵」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[Image:Us unabhaengigkeitskrieg.jpg|thumb|right|200px|[[アメリカ独立戦争]]鎮圧に従事したヘシアン]]
戦列歩兵は、古代から存在した密集[[陣形]]を組んで運用される[[重装歩兵]]の系譜に連なる兵科であり、野戦軍の中核をなした兵科だった。野戦における戦列歩兵は、[[散兵]]として運用される[[軽歩兵]]や[[猟兵]]、[[騎兵]]・[[砲兵]]といった他の各兵科のサポートを受けつつ、敵の主力を同じく構成している戦列歩兵を撃破する事を主な役割としていた。[[18世紀]]頃までは、[[擲弾兵]]と呼ばれる[[手榴弾|擲弾]]を敵陣に投げ込む選抜歩兵が欧州各国の軍に存在したが、時代を経るに従って擲弾による戦闘が廃れると、戦場における機能は戦列歩兵とほぼ同じとなった。ただし近代以降においてもしばらく「擲弾兵」のカテゴリーは、体格・体力や武勇・戦技および精神力などに優れた兵士を選抜したエリート部隊として名称のみが残された。
 
戦列歩兵は、「Musketeer」という名の通り銃隊であり、槍にかわって[[マスケット銃]]と[[銃剣]]が歩兵の主装備となって[[職業軍人]]の優位が消滅した[[三十年戦争]]の頃から各国軍で一般的に編成されるようになった。傭兵として長い歴史のある[[スイス傭兵]]や、[[:en:Hessian (soldiers)|ヘシアン]]<ref group="注釈">ヘシアン(Hessian)とは、[[ヘッセン大公国]]出身の[[ドイツ人]][[傭兵]]を指し、[[アメリカ独立戦争]]に際して[[イギリス軍]]が鎮圧のために送った兵力のうち3万人にも上る大勢力だった。彼らは新大陸に移民していた[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系入植者]]達とも戦火を交える事になったが、うち5,500人ほどは独立後も新大陸に留まりアメリカ人となった。ちなみにアメリカの怪奇伝説として知られる「[[スリーピー・ホロウ]]」は、この時期のヘシアンの話が元になっている。</ref>のような公募された[[傭兵]](多くの場合、[[多重債務]]者や犯罪者によって構成されていた)や、[[徴兵]]された一般人を、少数の専門家による比較的短い期間の訓練によって大量に戦力として養成できる利点から、広く世界中で採用される歩兵運用方式となった。
 
19世紀の中頃に銃砲が飛躍的に発達し、[[ミニエー銃]]と近代的な[[砲尾装填式|後装式の砲]]が出現すると、戦列歩兵の密集陣形や、黒色火薬の濃煙下における敵味方識別・威嚇のために派手な威嚇色を使っ多用し従来の[[軍服]]<ref group="注釈">[[スタンダール]]の『[[赤と黒]]』のタイトルは、当時の軍服の色である赤と僧衣の色である黒を、その一方あるいは両者を栄達の手段として捉える青年の行動を通じて、当時の世相を描いたことに由来する。</ref>は遠距離からの射撃の良い的となって死傷者が激増したため、歩兵の運用はリスクを分散するために密集を避けて周囲の環境に隠れながら行動できる[[散兵]]による[[浸透戦術]]が中心となり、戦列歩兵は急速に廃れていった。
 
戦列歩兵の消滅以降も、[[駐退機]]の開発による[[火砲]]の連射速度向上と近代的な爆薬の出現による[[榴弾]]の威力の驚異的向上や[[無煙火薬]]の普及にともなう火器の射程・威力・命中精度の向上や視界の改善さらに[[機関銃]]と[[鉄条網]]の登場により、野戦における歩兵の死傷率はさらに増加し、兵士が戦闘時に着用する[[軍服]]は目立ち難い暗色系や[[保護色]]へと変化して行き、最終的に現在のような[[戦闘服|迷彩服]]に至っている。
 
== 運用 ==