「タキシラ」の版間の差分

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ダモーダル・ダルマーナンド・コーサンビーの説によれば、タキシラとは「大工」を意味する「タクシャカ」という言葉と関わりがあり、この「タクシャカ」はナーガ族の別称であった。<ref name="a"/>。
 
紀元前326年、アケメネス朝を征服した[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]が[[ヒンドゥークシュ山脈]]を越え、[[インダス川]]流域に侵入した。当時のパンジャーブ地方は小王国が乱立していた状態であり、タキシラを支配していた{{仮リンク|タキレス|en|Taxiles|label=アーンビ}}({{lang-hi|Ambhi}}、{{lang-grc|Taxiles}})は、アレクサンドロスに加勢した。その結果、アレクサンドロスは、[[プール族|パウラヴァ(Paurava)]]の王で政敵[[ポロス_(古代インドの王)|ポロス]]を撃破することに成功した<ref name="b"/>。その後、アレクサンドロスは、将軍Eudemusを派遣しサトラップとして派遣していたPeithonをインドから引き上げさせた<ref>Peithonは、アレクサンドロスによってシンド地方のサトラップとして任命されていた。その後、紀元前320年に締結されたトリパラディススの条約(Partition of Triparadasus)によって、ガンダーラ地方の[[サトラップ]]となった。</ref>。
 
紀元前321年、[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]が現在のパンジャーブ地方を含む北西インドの征服に着手を開始した。その後、チャンドラグプタは、[[マウリヤ朝]]を建国するにいたった。タキシラを含むパンジャーブ地方は、マウリヤ朝の支配下に入った。チャンドラグプタの孫である[[アショーカ王]]の時代には、タキシラは仏教の中心地となった。とはいえ、必ずしもタキシラ自体は、マウリヤ朝に完全に服従していたというわけでもなく、たびたびマウリヤ朝に対しての反乱が起きた。
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*[https://web.archive.org/web/20051231191035/http://kaladarshan.arts.ohio-state.edu/maps/gandh.html Map of Gandhara archeological sites, from the Huntington Collection, Ohio State University (large file)]
* [http://taimur.sarangi.info/2006/11/24/taxila-museum-and-jaulian-monastery "Taxila Museum and Jaulian Monastery", by Saadullah Bashir]
 
==関連項目==
* [[パンジャーブ]]
* [[プール族|パウラヴァ(Paurava)族]]
** [[ポロス (古代インドの王)]]
* [[ヒュダスペス河畔の戦い]]
 
 
{{commonscat|Taxila}}