「鄧小平」の版間の差分

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* [[1978年]]の訪日時には様々な談話を残した。「これからは日本に見習わなくてはならない」という言葉は、工業化の差を痛感したもので、2ヶ月後の[[中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議|第11期3中全会]]決議に通じるものであった。また、帝国主義国家であるとして日本を「遅れた国」とみなしてきた中華人民共和国首脳としても大きな認識転換であった。[[新幹線]]に乗った際には「鞭で追い立てられているようだ」「なんという速さだ。まるで風に乗っているようだ」という感想を漏らしている。日産自動車の工場を訪れた際は「[[ロボット]]はお金のことを言わないし、彼らが[[ストライキ]]するのを心配する必要もない」と述べ<ref name=chinajapan2007/>、[[日本車]]の美しさも誉め称えたため、日産自動車から[[高級車|最高級乗用車]]の[[日産・プレジデント]]が特別に贈られた<ref>{{cite news |title= 邓小平访问日本求长生不老药 |publisher=多維新聞網 |date=2017-07-05 |url=http://culture.dwnews.com/history/news/2017-07-05/59823718.html |accessdate=2018-12-25}}</ref>。ほかには、「日本と中国が組めば何でもできる」という、解釈によっては際どい発言を残してもいる。事実、訪中した[[鈴木善幸]]自民党総務会長に対し、中国での日中共同の兵器工場を建設する計画を鈴木本人によれば真剣に提案してきたという<ref>『鈴木善幸回願録』p155</ref>。訪日時の[[昭和天皇]]との会見で「あなたの国に迷惑をかけて申し訳ない」という謝罪の言を聞いた鄧小平は立ちつくしたと、[[入江相政]]は言っている<ref>入江相政日記241頁</ref>。鄧小平は[[1984年]]に昭和天皇の訪中を要請して[[昭和天皇]]も前向きだったものの日本政府は[[沖縄]]訪問を優先したので見送られた<ref>{{cite news |title= 「なぜ官僚の私が…」天皇訪中、大使は保守派を説得した|publisher=[[朝日新聞]] |date=2018-12-22 |url=https://www.asahi.com/articles/ASLCZ6550LCZUTIL04V.html |accessdate=2019-09-12}}</ref><ref>城山英巳『中国共産党「天皇工作」秘録』8頁</ref>。天皇の訪中は[[上皇明仁|明仁天皇]]となってから[[1992年]]に実現する。
* [[1979年]]に訪中した[[松下幸之助]]に対して[[孫悟空]]の[[寓話]]を持ち出して日本の電子産業全体で中国の電子産業を支援させるという「君子の約束」を交わし<ref>{{cite news |title=第17話 鄧小平氏の松下訪問とハイアールのパナソニック白物家電買収|publisher=日本経営合理化協会|url=http://jmcasemi.jp/column/article.php?article=1107 |accessdate=2017-11-29}}</ref><ref>{{cite news |title=松下幸之助と鄧小平の「君子の約束」(2) |publisher=中国網|date=2008-11-04 |url=http://japanese.china.org.cn/jp/qshn/2008-11/04/content_16709362.htm |accessdate=2017-11-29}}</ref>、松下は訪中の際は鄧小平に構想の遅れを詫びていた<ref>{{cite news |title=松下幸之助と鄧小平の「君子の約束」(3) |publisher=中国網|date=2008-11-05 |url=http://japanese.china.org.cn/jp/qshn/2008-11/05/content_16714152.htm |accessdate=2017-11-29}}</ref>。
* [[1980年]]に訪中した[[岸信介]]の特使である[[矢次一夫]]と会談して台湾の蒋経国総統との仲介を依頼した<ref>{{Cite news | url = https://www.jiji.com/jc/article?k=2019100500380 | title = 岸と金丸、対日政界工作=親台派取り込み-中国建国70年秘史 | work = | publisher = [[時事通信]] | date = 2019-10-06 | accessdate = 2019-10-06}}</ref>。
* [[1989年]]に鄧小平は訪中した[[王永慶]]([[中華民国]]で「台湾の松下幸之助」と呼ばれる)と会談し、巨大プロジェクト「海滄計画」が打ち出されるも台湾政府に中止された<ref>[http://big5.china.com.cn/chinese/zhuanti/jyzswyq/621116.htm 王永慶在大陸的事業 - 中國網]</ref>。
* [[蒋介石]]との[[世界自由民主連盟|世界反共連盟]]設立や[[文鮮明]]との[[国際勝共連合]]創設などの活動から日本の[[反共主義]]者の代表格で[[児玉誉士夫]]も従える「[[右翼]]のドン」とされてきた[[笹川良一]]とは日中国交正常化から親交を結んだ<ref>{{cite news |title=「遠のく鄧小平時代」|publisher=日本財団会長笹川陽平ブログ |date=2009-01-23 |url=http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1735 |accessdate=2016-10-18}}</ref>。