「オリンピック聖火」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Basocyor (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
129行目:
 
=== 1964年の東京オリンピックの聖火台 ===
[[1964年東京オリンピック]]では、その招致の前哨戦となる[[1958年]]の[[アジア競技大会|東京アジア大会]]の聖火台を再利用した。
[[1964年東京オリンピック]]では、その前哨戦となる[[アジア競技大会]](1958年)に間に合わせるために聖火台の製作を[[鋳物]]づくりの名工とうたわれた[[鈴木萬之助]]が請け負ったが湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなった<ref>田村崇仁「[http://www.47news.jp/topics/sportscolumn/2009/11/post_140.php 聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語]」『スポーツリレーコラム』47NEWS、2009年11月4日</ref><ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0044.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>]」『スポーツのエクセレンス』第44話、日本トップリーグ連携機構</ref>。しかし萬之助の息子にあたる[[鈴木文吾]]が不眠不休で第二の聖火台を製作して一ヶ月の作業の後、何とかアジア競技大会に間に合わせた<ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0045.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<後編>]」『スポーツのエクセレンス』第45話、日本トップリーグ連携機構</ref>。文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。
 
[[1964年東京オリンピック]]では、その前哨戦となる[[アジア競技大会]](1958年)に間に合わせるために聖火台の製作を[[鋳物]]づくりの名工とうたわれた[[川口市]]の[[鈴木萬之助]]が請け負ったが湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなった<ref>田村崇仁「[http://www.47news.jp/topics/sportscolumn/2009/11/post_140.php 聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語]」『スポーツリレーコラム』47NEWS、2009年11月4日</ref><ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0044.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>]」『スポーツのエクセレンス』第44話、日本トップリーグ連携機構</ref>。しかし萬之助の息子に次男でる[[鈴木文吾]]が、兄弟と萬之助の教えを受けた周囲の職人たちの協力のもと、不眠不休で第二の聖火台を製作して一ヶ月の作業の後、何とかアジア競技大会に間に合わせた<ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0045.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<後編>]」『スポーツのエクセレンス』第45話、日本トップリーグ連携機構</ref>。文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。
 
ところが、東京オリンピックで新しい聖火台が製作する構想が持ち上がったが、鈴木父子の話を聞いた[[河野一郎]]オリンピック担当大臣の英断により、オリンピック聖火台として正式採用されることとなった。
 
聖火台は高さ2.1m、最大直径も2.1mで重さは約4トン<ref name="sponichi20191007" />。
 
この聖火台は文吾の手により製作者名として父・萬之助の名を指す「鈴萬」の文字が彫り込まれ、[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]が解体されるまで置かれ、新国立競技場建おり替えの間[[東日本大震災]]の被災地等に貸し出される事になった。2015年に[[宮城県]][[石巻市]]に一時貸与され、新国立競技場建て替えの間、石巻市総合運動公園に設置されることとなった<ref>[http://www.sankei.com/life/news/150618/lif1506180016-n1.html 五輪の聖火台、被災地に 地元「復興のシンボルになる」 宮城・石巻] 産経新聞 2015年6月18日閲覧</ref>。聖火台は2019年3月で石巻市に展示され萬之助後は岩手県と福島県へ貸し出しが行われ、両県内を巡回した<ref name="sponichi20191007">{{Cite news |url= https://www.sponichi.co.jp/society/news/2019/10/07/kiji/20191007s00042000176000c.html|title=61年ぶり 東京五輪聖火台も修繕を経て作業場の里帰り 製造地・埼玉県川口市で記念式典 |newspaper= スポーツニッポン |date= 2019-10-07 |accessdate= 2019-10-07}}</ref>。2019年10月から、製造地でったる川口市に戻り、2020年3月まで[[川口]]に置東口の川口駅東口公共広場(キュポ・ラ広場)で展示される<ref name="sponichi20191007" /><ref>{{Cite news |url= https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019100702000131.html|title=おえり 東京1964の聖火台 製造の地・川口で展示 |newspaper= 東京新聞 |date= 2019-10-07 |accessdate= 2019-10-07}}</ref>。展示終了後は、新国立競技場の東側ゲート正面に移さている予定である。
 
 
また、萬之助の聖火台も修繕を経て川口市の[[青木町公園総合運動場|青木町公園]]に置かれている。
1964年の東京五輪で使われた聖火台は2019年3月まで石巻市に展示され、その後は岩手県と福島県へ貸し出しが行われた<ref name="sponichi20191007">{{Cite news |url= https://www.sponichi.co.jp/society/news/2019/10/07/kiji/20191007s00042000176000c.html|title=61年ぶり 東京五輪聖火台里帰り 製造地・埼玉県川口市で記念式典 |newspaper= スポーツニッポン |date= 2019-10-07 |accessdate= 2019-10-07}}</ref>。2019年10月から製造地の川口市に戻り、2020年3月までJR川口駅前で展示される予定<ref name="sponichi20191007" /><ref>{{Cite news |url= https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019100702000131.html|title=おかえり 東京1964の聖火台 製造の地・川口で展示 |newspaper= 東京新聞 |date= 2019-10-07 |accessdate= 2019-10-07}}</ref>。
 
== 炬火 ==