「セルゲイ・ラフマニノフ」の版間の差分

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4歳の時、姉たちのために雇われた家庭教師がセルゲイの音楽の才能に気がついたことがきっかけで、彼のために[[サンクトペテルブルク|ペテルブルク]]からピアノ教師としてアンナ・オルナーツカヤが呼び寄せられ、そのレッスンを受けた。9歳の時ついに一家は破産し、オネグの所領は競売にかけられ、[[サンクトペテルブルク|ペテルブルク]]に移住した。まもなく両親は離婚し、父は家族の元を去っていった。セルゲイは音楽の才能を認められ、奨学金を得て[[サンクトペテルブルク音楽院|ペテルブルク音楽院]]の幼年クラスに入学することができた。
 
しかし彼は教科書の間にスケート靴を隠して出かけるような不良学生で、12歳の時に全ての学科の試験で落第するという事態に陥った。悩んだ母はセルゲイにとって従兄に当たるピアニストの[[アレクサンドル・ジロティ]]に相談し、彼の勧めでセルゲイは[[モスクワ音楽院]]に転入し<ref>著者吉澤ヴィルヘルム、発行者矢野恵二『ピアニストガイド』株式会社青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、253249ページ、ISBN 4-7872-7208-x</ref>、[[ニコライ・ズヴェーレフ]]の家に寄宿しながらピアノを学ぶことになった。
 
=== 音楽家としての目ざめ ===