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=== 少数民族地域の文革 ===
周縁とされた辺境地帯の文革に関する研究は世界各国で盛んとなり、「周縁の文化大革命から文化大革命の[[フロンティア]]へ」変わりつつあるのが目下の状況である<ref>{{Cite book|和書|author=編集[[楊海英]]|authorlink=|date=2016-11|title=フロンティアと国際社会の中国文化大革命|series=|publisher=[[集広舎]]|isbn=978-4904213421|page=|url=}}谷川真一論文「周縁の文化大革命から文化大革命研究のフロンティアへ」</ref>。政府公文書も含む[[1次資料]]による研究成果として、文革の被害者が最も多かったのは[[広西チワン族自治区]]と[[内モンゴル自治区]]であり、広西では「階級の敵」とされた者が共産党幹部らに食される「革命的食人」が横行、内モンゴルでは中国人による[[モンゴル人]][[ジェノサイド|虐殺]]が発生した事実が明らかにされた<ref>『[[中央公論]]』2016年12月号、[[中央公論新社]]、p167、[[楊海英]]「日本は文化大革命50周年をどう論じたか」</ref>。
 
[[ウイグル人]]とモンゴル人は、近代以降、宗主国の中国からの独立を獲得すべく日本やロシアの協力を得ようとし、両民族は中国からの独立か、ソ連邦内の自治共和国になろうとしたが、それらは[[ヤルタ協定]]により葬られ、民族自決を目指したウイグル人とモンゴル人のナショナリスト民族主義者達は、1957年の反右派闘争と文革で全員粛清され<ref>『[[アジア研究]]』2016年2月号、[[アジア政経学会]]、[[楊海英]]「ウイグル人の中国文化大革命」</ref><ref>『[[アジア研究]]』2016年2月号、[[アジア政経学会]]、[[ハスチムガ]]「モンゴル人医学者たちの文化大革命」</ref>、中国政府は文革を利用して対日歴史の清算と対ソ連との国際政治を勝ち抜くという戦略を練っていた<ref>『[[中央公論]]』2016年12月号、[[中央公論新社]]、p161、[[楊海英]]「日本は文化大革命50周年をどう論じたか」</ref>。
 
[[楊海英]]は、「私が生まれた内モンゴルや新疆ウイグル、チベットなどでの文革は『ジェノサイド虐殺』だった。私の周囲でもどんどん罪のない人が死んでいった 」「弾圧は現在も続いており、我々にとっての文革は終わっていない」として、少数民族地域で何が起こったのかは総括されず、「新疆ウイグルでは同化政策が強まり、[[ウイグル語]]で教育を受けることを禁止され、[[中国語]]を強要」されるなど抑圧が強まり、文革は少数民族地域では民族間紛争として発生したことから「ジェノサイド虐殺のような悲劇が再び起こらないようにしなければいけない」「過去の大虐殺を総括しない限り、現在の民族問題の解決にもつながらない」と述べている<ref>『[[毎日新聞]]』2016年5月13日、[[楊海英]]「文化大革命:識者に聞く 大虐殺を総括せよ」</ref><ref>『[[中央公論]]』2016年12月号、[[中央公論新社]]、p162、[[楊海英]]「日本は文化大革命50周年をどう論じたか」</ref>。
 
==== 内モンゴル自治区の文革 ====