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=== 1964年の東京オリンピックの聖火台 ===
[[1964年東京オリンピック]]では、その招致の前哨戦となる[[1958年]]の[[1958年アジア競技大会|東京アジア大会]]の聖火台を再利用した。
 
大会組織委員会から、「納期3カ月で製作費は20万円」という条件だったため、大手企業から軒並み断られてしまった。組織委員会は、当時の[[川口市]]長[[大野元美]]に対し、アジア大会に間に合わせるため、聖火台の製作を依頼してきた。大野は、[[鋳物]]づくりの名工とうたわれた[[川口市鈴木萬之助]]を指名した。だが、萬之助[[長男である鈴木幸一が「割に合わない」とこの依頼を断ったが、萬之助]]「俺がやる。こういう仕事は損得を考えるな」と言って依頼を請け負った。

聖火台の製作に入った萬之助は、三男である[[鈴木文吾]]を誘い二ヶ月後に鋳型を完成させたが、湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなった<ref>田村崇仁「[http://www.47news.jp/topics/sportscolumn/2009/11/post_140.php 聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語]」『スポーツリレーコラム』47NEWS、2009年11月4日</ref><ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0044.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>]」『スポーツのエクセレンス』第44話、日本トップリーグ連携機構</ref>。しかし、萬之助の次男納期まある[[鈴木は一ヶ月を切っていたため、文吾]]が、兄弟と萬之助の教えを受けた周囲の職人たちの協力のもと、不眠不休で第二の聖火台を製作して一ヶ月の作業の後、何とかアジア大会納期に間に合わせた<ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0045.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<後編>]」『スポーツのエクセレンス』第45話、日本トップリーグ連携機構</ref>。文吾は、「もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだった」という。
 
ところが、東京オリンピックで新しい聖火台を製作する構想が持ち上がったが、鈴木父子の話を聞いた[[河野一郎]]オリンピック担当大臣の英断により、オリンピック聖火台として正式採用されることとなった。
 
聖火台は高さ2.1m、最大直径も2.1mで重さは約4トン<ref name="sponichi20191007" />。デザインの20の横線は、参加国・地域の数、波模様は太平洋を表している
 
この聖火台は、文吾の手により製作者名として父・萬之助の名を指す「鈴萬」の文字が彫り込まれ、[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]が解体されるまで置かれ、新国立競技場建て替えの間[[東日本大震災]]の被災地等に貸し出される事になった。2015年に[[宮城県]][[石巻市]]に貸与され、石巻市総合運動公園に設置された<ref>[http://www.sankei.com/life/news/150618/lif1506180016-n1.html 五輪の聖火台、被災地に 地元「復興のシンボルになる」 宮城・石巻] 産経新聞 2015年6月18日閲覧</ref>。聖火台は2019年3月まで石巻市に展示され、その後は岩手県と福島県へ貸し出しが行われ、両県内を巡回した<ref name="sponichi20191007">{{Cite news |url= https://www.sponichi.co.jp/society/news/2019/10/07/kiji/20191007s00042000176000c.html|title=61年ぶり 東京五輪聖火台里帰り 製造地・埼玉県川口市で記念式典 |newspaper= スポーツニッポン |date= 2019-10-07 |accessdate= 2019-10-07}}</ref>。2019年10月から、製造地である川口市に戻り、2020年3月まで[[川口駅]]東口の川口駅東口公共広場(キュポ・ラ広場)で展示される<ref name="sponichi20191007" /><ref>{{Cite news |url= https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019100702000131.html|title=おかえり 東京1964の聖火台 製造の地・川口で展示 |newspaper= 東京新聞 |date= 2019-10-07 |accessdate= 2019-10-07}}</ref>。展示終了後は、新国立競技場の東側ゲート正面に移される予定である。
 
また、萬之助の聖火台も修繕を経て、2004年に川口市の[[青木町公園総合運動場|青木町公園]]に置かれている。
 
また、萬之助の聖火台も修繕を経て川口市の[[青木町公園総合運動場|青木町公園]]に置かれている。
== 炬火 ==
[[画像:Okayamakokutai Kyoka.JPG|thumb|220px|right|[[第60回国民体育大会|第60回国体]]総合開会式より。]]