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=== 行軍 ===
戦術・戦略の目的上、行軍で河川を渡らなければならない場合、筏を用いることがある。早急に行動しなければいけない状況下では、本格的に舟を造るより即席性がある筏を作る方が技術的にも[[時間短縮|時短]]できるためであり、例として、[[源頼義]]は[[前九年の役]]において盾を筏としたと記され<ref>『[[寛永諸家系図伝]]』第一、続群書類従完成会</ref>、また[[承久の乱]]では、東軍が宇治川を渡る際、初めは馬をそのまま用いたが、のちに民家を壊した木材で筏を組んだとされる<ref>[[山本幸司]] 『日本の歴史09 頼朝の天下草創』 [[講談社]] 2001年 p.197.</ref>。また、馬を並べてつなげ、川を渡る行為を日本では「馬筏」と呼ぶ(『広辞苑』)。この場合、下流を下るのではなく、対岸を渡るために使用されている。
 
外国の例では、[[韓信]]が囮の船で敵を釘づけにしている間に木桶で筏を作って魏に侵入したとされる他、近代期の戦争においても例は見られ、[[ドニエプル川の戦い]](ドニエプル空挺作戦、9月23日)にソ連が筏を使用した他、日本軍も[[アドミラルティ諸島の戦い]]において、マヌス島(3月25日から29日)に渡る際、使用している。本格的な舟に比べれば、水面からの高さが低く、それなりに視認しづらい利点があるが、防御性は皆無である。
 
===観光・レジャー===
; いかだレース : 近年、河川・湖沼・海岸などさまざまな場所において、参加者の創意工夫によって作られたいかだによるいかだレースのイベントが各地で行われている(似た観光として、[[たらい舟]]が見られる)。:一例として、TBS系列の番組『[[アイ・アム・冒険少年]]』の一企画では、芸能人・有名人による無人島脱出に自作の筏レースが行われている。
; 急流下り : [[急流下り]]では[[絶叫マシン]]的なスリル感を演出するために、いかだが用いられることがある。
 
一例として、[[和歌山県]][[北山村]]があり、夏場に観光筏下りが行われる<!-- 後述書 p.104 .-->。これは昭和40年代に[[ダム]]ができたために、[[筏師]]による出荷が行われなくなり、その代わりとして観光資源として残したものである<!-- 後述書 p.108. -->。筏には[[椅子]]と[[手すり]]が付けられており<!-- 後述書 p.110. -->、目的地にゴールすると筏は解体される<ref>[[西村まさゆき]] 『ふしぎな県境 歩ける、またげる、愉しめる』 [[中公新書]] 2018年 ISBN 9784-12-102487-9 pp.112 - 113.各写真で紹介されている。</ref>。
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[[ブラジル]]の漁民は[[:w:Jangada|ジャンガダ]]と呼ばれる三角帆を装備したいかだで漁をしている<ref>エリック・ケントリー『船の百科』あすなろ書房、〈「知」のビジュアル百科〉、2008年。ISBN 9784751524534、p.8.</ref>。いかだが横転したり横に流されないよう、海上では船底にダガーボードという水中翼を差し込む。猟師は航走中海に投げ出されないようにデッキに体を固定して操船する。
 
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[[実験考古学]]でも海洋筏が用いられる例があり、日本の例としては、古墳期の九州の石材(ピンク石)を瀬戸内海を通して畿内に送る航行実験に、箱筏案が試みられた(『大王の棺を運ぶ実験航海 -研究編-』 石棺文化研究会 2007年)他、「3万年の航海 徹底再現プロジェクト」(2016 - 19年)では、台湾から日本へ向けて、草束舟・丸木舟の他、竹筏案が試みられた(同HP参考)。前者は石棺が余りに重いため、上手くいかず(『大王の棺を運ぶ実験航海 -研究編-』)、後者は黒潮の流れが強過ぎて上手くいかなかった(同HP参考)。{{-}}
 
== 著名ないかだ ==