「第23回衆議院議員総選挙」の版間の差分

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| election_date = {{衆議院投票日|23}}
| turnout =
| 結果image = Japanese General election, 1947 ja.svg
| 結果caption = 選挙後の党派別勢力図
| 内閣 = [[第1次吉田内閣]]
| 解散日 = {{衆議院解散日|23}}
| 改選数 = 466議席
| 選挙制度 = [[中選挙区制]]
| 有権者 = 満20歳以上の日本国民
| 有権者数 = 4090万7493
 
| image1 = [[File:Tetsu Katayama.jpg|100x100px]]
| leader1 = [[片山哲]]
| before_election = [[吉田茂]]
| before_party = 日本自由党 (1945-1948){{!}}日本自由党
| posttitle = 選挙後[[内閣総理大臣]]
| after_election = [[片山哲]]
| after_party = 日本社会党
}}
'''第23回衆議院議員総選挙'''(だい23かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、[[1947年]]([[昭和]]22年)[[4月25日]](金曜日)に行われた[[日本]]の[[国会 (日本)|国会]]([[衆議院]])[[議員]]の[[選挙]]である。[[衆議院]]第一党である[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]の総裁ではあったものの[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員である[[吉田茂]]が[[総理大臣]]となっていた[[第1次吉田内閣]]は、「天皇の大命により組閣する」という[[大日本帝国憲法]]下の手続きを経て作られたものであったので、[[日本国憲法]]の施行を直前にして自らの正統性を世に問う目的で行われた
 
[[衆議院]]第一党である[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]の総裁ではあったものの[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員である[[吉田茂]]が[[総理大臣]]となっていた[[第1次吉田内閣]]は、「天皇の大命により組閣する」という[[大日本帝国憲法]]下の手続きを経て作られたものであったので、[[日本国憲法]]の施行を直前にして自らの正統性を世に問う目的で行われた。
 
==概説==
総選挙実施に先立って[[衆議院議員選挙法]]の別表改正が行われ、戦前の[[第16回衆議院議員総選挙|第16回]]([[1928年]])から[[第21回衆議院議員総選挙|第21回]]([[1942年]])まで用いられた[[中選挙区]]が復活。但し、[[ソビエト連邦|ソ連]]占領下の[[北方地域|北方領土]](選挙区上は[[北海道第5区 (中選挙区)|北海道5区]]の一部)及び[[アメリカ合衆国|米国]]占領下の[[小笠原諸島]](選挙区上は[[東京都第2区 (中選挙区)|東京2区]])には衆議院議員選挙法を適用しない旨が明記された。また、同様に米国占領下にあった[[奄美群島]](選挙区上は[[鹿児島県第3区 (中選挙区)|鹿児島3区]])及び[[沖縄県]]([[沖縄県全県区|全県区]])については当分の間、衆議院議員選挙法を適用しないこととされた。また[[伊豆諸島]]の[[青ヶ島村]]は日本施政下にあったものの「通信困難地域」に指定されていたため、選挙が実施されなかった。