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{{Otheruseslist|明治憲法下の'''日本'''の議会|'''神聖ローマ帝国'''の領邦の代表者会議|帝国議会 (神聖ローマ帝国)|'''ドイツ帝国'''の議会|帝国議会 (ドイツ帝国)}}
{{議会
|国略称
|議院名
|公用語名
|画像
|画像説明
|上下院、一院制
|上院名称
|下院名称
|上院議長
|下院議長
|成立年月日
|廃止年月日
|郵便番号
|所在地
|上院任期
|下院任期
|上院定数
|下院定数
|ウェブサイト
|サイトタイトル
|シンボル
|その他
}}
{{読み仮名|'''帝国議会'''
==
[[明治]]初期の[[自由民権運動]]、国会開設運動を経て、[[明治天皇]]による[[詔勅]]「[[国会開設の詔]]」が
初期議会においては政府の[[超然主義]]と衆議院が対立していたが、[[日清戦争]]後には政府と両院の提携が行われるようになり、[[大正デモクラシー]]により[[政党政治]]が行われるようになると衆議院の立場が強まるが、軍部などの勢力の台頭で[[議院内閣制]]は確立できず、
[[衆議院]]では成立当初から乱闘騒ぎがしばしば起きていたのに対し、貴族院ではほとんどなかったとされている。なお、[[日清戦争]]中の[[第7回帝国議会|第7議会]]は[[大本営]]のあった[[広島市]]で開催されている。
==
[[衆議院]]と[[貴族院 (日本)|貴族院]]の[[二院制]]で、貴族院は皇族、[[華族]]議員<ref group="注釈">ただし、[[伯爵]]以下の議員については7年に1度[[互選]]が行われて、その代表が議員となることになっていた。</ref>、勅選議員<ref>満30歳以上の男子で、貴族院令第1条で「国家ニ勲労アリ又ハ学識アル者ヨリ特ニ勅任セラレタル者から定員は125人以内で、勅選された。終身議員。</ref>、多額納税<ref>満30歳以上の男子で直接国税納税額の多い者を任期は7年で互選。</ref>、帝国学士院選出議員<ref>貴族院令の第4次改正(第50回帝国議会)で設けられた。帝国学士院の会員で満30歳以上の男子の中から4名を互選で選ぶ。任期は7年である。</ref>及び朝鮮及び台湾在住者議員<ref>貴族院令の第5次改正(第86回帝国議会)で朝鮮及び台湾住民の政治的処遇を改善するため、朝鮮及び台湾に在住する満30歳以上の男子で名望あるもの10人以内を勅選で、任期は7年。敗戦に伴い、第6次改正(第90回帝国議会) で廃止された。</ref>で構成され、解散はなかった。ただし、皇族が議会に出席したことはなかった。議院相互の関係などは[[議院法]]によって規律された。両院は、衆議院の[[予算先議権]]を除き、対等の権限を有する<ref group="注釈">1891年2月20日、天野若円(大成会)が提出した、衆議院が大日本帝国憲法第67条関連の予算削減を審議する際には事前に政府の了解を得るという決議が衆議院で可決され、政府もこれを了承した。これは一見帝国議会における予算削減の権限を自主的に制約したようにもみえるが、裏を返せば、予算先議権がある衆議院と政府が合意した予算削減に貴族院がさらに修正を加える余地を奪うもので、衆議院が予算審議における貴族院に対する優越権を議会慣習の形で事実上確立したものであった。</ref>。
貴族院と衆議院を併せて貴衆両院、貴衆二院と略称され、議会では[[国民]]から選出された議員を[[代議士]]、両院を以て議決することから帝国議会制度は代議制度とも称された。
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日本国憲法下の国会では委員会制が採られているが、帝国議会では[[読会制|三読会制]]が採られていて、本会議中心であった。委員会の種類としては、全院委員会、常任委員会及び特別委員会、そして、継続委員が置かれていた。全院委員はすべての議員が委員となり、実際上、本会議と異ならず、ただし、議長および議事規則は異なった。常任委員は、貴族院には、資格審査委員、予算委員、懲罰委員、請願委員および決算委員があった。衆議院には資格審査委員をのぞく4つがあった。特別委員はいち事件が審査されるために特設され、継続委員は、議会の閉会中、議案の審査を継続するために設けられた。
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帝国議会は下記の通り開催された<ref>大山英久「帝国議会の運営と会議録をめぐって」[http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200505_652/065202.pdf](『レファレンス』 No.652、2005年5月、国立国会図書館)</ref>。
*第{{0}}1回帝国議会 1890年([[明治]]23年)11月29日 -1891年(明治24年){{0}}3月{{0}}7日 (通常会)
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*第92回帝国議会 1946年(昭和21年)12月28日 - 1947年(昭和22年){{0}}3月31日 (通常会。1947年(昭和22年){{0}}3月31日、解散)
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{{脚注ヘルプ}}
<references group="注釈" />
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{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
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*「帝国議会の運営と会議録をめぐって」大山英久(国立国会図書館調査及び立法考査局調査企画課No.652(2005年5月))[http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200505_652/065202.pdf]
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{{wikisource portal|帝国議会会議録|帝国議会}}
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*[[国会開設の詔]]
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{{DEFAULTSORT:ていこくきかい}}
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