「クアウテモック」の版間の差分

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== 事跡 ==
[[1520年]]、アステカ人は[[モクテスマ2世]](モテクソマ・ショコヨィン)のあとに、その甥でモクテスマ2世に次いで位が高かった新王[[クィトラワク]]を選んだ。しかし、[[スペイン軍]]が持ち込んだ[[天然痘]]が蔓延して、在位わずか80日でクイトラワクは死亡し、25歳でトラテロルコ区長であったクアウテモックを王に推戴した。クイトラワクの妃であったモクテスマ2世の娘もクアウテモックに嫁いだ。
 
[[1521年]]、[[エルナン・コルテス]]がアステカの首都[[テノチティトラン]]を包囲すると、3ヶ月の攻防戦に耐えて勇敢に立ち向かったが、[[8月13日]]、脱出を試みる途中にスペイン軍に捕らえられて降伏し、アステカは滅んだ。クアウテモックはコルテスの短刀を指さして自分を殺すように言ったが、コルテスは彼を殺さず、勇者として手厚くもてなした。しかしそれは始めのうちだけで、黄金の場所をつきとめるためにコルテスは彼を拷問にかけた。