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'''芳賀 高定'''('''はが たかさだ'''、[[享禄]]2年([[1529年]]) - [[天正]]16年([[1588年]]))は[[戦国時代]]・[[安土桃山時代]]の人物。[[下野宇都宮氏|宇都宮氏]]の[[家臣]]。[[本姓]]は[[清原氏]]。[[家系]]は清党の棟梁 [[芳賀氏]]。[[益子勝宗]]の三男。
 
高定は[[芳賀氏]]の一族ではなく、[[益子氏]]の一族であった。しかし、当時の芳賀氏の当主・[[芳賀高経]]が宇都宮氏に対して反抗的だったため、これを討ち果たした主君の[[宇都宮尚綱]]から芳賀氏を継ぐことを命じられたのである。
 
高定は[[下克上]]が常の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]ではめずらしく、私欲の無い清廉な人物であった。[[1549年]]、尚綱が[[那須高資]]と戦って敗死すると、尚綱の子でわずか7歳であった[[宇都宮広綱]]を連れて[[宇都宮城]]から脱出する。そして幼い当主・広綱を補佐して主家の再興を図る。[[1551年]]には先君の仇である那須高資を謀殺し、[[1555年]]には宇都宮氏に対して反抗を続ける[[芳賀高照]](高経の子)を殺害した。そして[[佐竹氏]]や[[後北条氏]]らと手を結んで主家を再興し、その後は宇都宮広綱配下の筆頭宿老として活躍した。
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[[category:芳賀氏|たかさた]]
[[category:益子氏|はかたかさた]]
[[Category:戦国武将|はかたかさた]]
{{生没年|はかたかさた|1529年|1588年}}