「交響曲第8番 (シベリウス)」の版間の差分

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シベリウスは[[1926年]]に最後の完成作である[[交響詩]]『[[タピオラ]]』を完成させたが、その完成後、さらに30年生きた。そして、その期間ずっと交響曲第8番の作曲に取り組んでいたとする説もある<ref name="therestisnoise">{{Citation|last=Ross| first=Alex|title=The Rest Is Noise: Listening to the Twentieth Century|publisher=Harper Perennial|origyear=2007|year=2009|edition=3rd|chapter=5|isbn=978-1-84115-476-3}}</ref> 。
 
彼は、早ければ[[1930年]]ごろに交響曲第8番を仕上げると約束していた。[[1931年]]に[[ベルリン]]で「交響曲は大きな歩幅で進んでいる」と報告し、同年12月の日記には「私は『第8番』を書いている。青春のまっただ中だ」と記している<ref>ランピラ『シベリウスの生涯』144頁。</ref>。また、妻[[アイノ・シベリウス|アイノ]]への手紙で、交響曲の構成を説明している。さらには、1930年代半ばに、五線紙を大量に発注したという記録が残っている。
 
この作品の第1楽章は、[[1933年]]に浄書された。第1楽章は23頁あり、シベリウス自身の見積もりによると、全曲はその8倍の大きさになるはずだった。1933年[[9月4日]]付けの領収書、およびその裏面のシベリウスによるメモが、このことを示している<ref>ランピラ『シベリウスの生涯』146頁。</ref>。