「ミハイル・シェープキン」の版間の差分

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しかし、帝室劇場のココーシキンなど多くは紋切り型の演技の支持者であった。シェープキンはココーシキンなど指導部のことを理解してるふりをして、舞台では批判覚悟で自己流でやった。これは上層部などから批判されたが、上手いため認めざるを得ない状態であった。
 
シェープキンは演技論など書いてないものの、[[アンサンブル]]の重要性を説くことや演劇学校・モスクワ大学のアマチュア劇団・地方公演時の若手発掘など指導を行った。
 
また、後にスタニスラフスキーに影響を与えることになる、グリケリア・ニコラーエヴナ・フェドートワは16歳の時
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[[Category:ロシアの俳優]]
[[Category:ロシア帝国の人物]]
[[Category:1788年生]]
[[Category:1863年没]]