「真杉静枝」の版間の差分

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武者小路と別れた後、[[中村地平]]や[[菊池寛]]などと恋愛。[[1939年]]に、中村とともに18年ぶりに台湾を訪れ、台南に住む家族と久しぶりの再会を果たす<ref name="repo1"/>。[[1941年]]には長谷川時雨、[[円地文子]]らと中国・[[広東]]へ日本軍の慰問にも出向いている<ref name="repo1"/>。[[1942年]]に[[中山義秀]]と結婚したが[[1946年]]に離婚。この間、中国戦地の慰問団に参加して陸軍中尉の[[佐藤賢了]]と恋愛。
 
戦後は娯楽月刊誌「鏡」を刊行したが3号で廃刊。また「[[読売新聞]]」で「身の上相談」を担当し、[[被爆]]少女の教護に尽した。昭和28年に渡欧、[[エリザベス2世|エリザベス女王]]戴冠式と[[国際ペンクラブ]]大会にそれぞれ出席
 
癌に苦しみ、死の直前に[[キリスト教]]の[[洗礼]]を受けた。1955年6月29日、[[肺癌]]のため[[東京大学医学部附属病院]]小石川分院で死去<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)298頁</ref>。通夜の席にはかつての夫、中山義秀が参列している。
*[[石川達三]]「花の浮草」[[文春文庫]] ※モデル小説
*[[十津川光子]]「悪評の女」真杉静枝の伝記
*[[火野葦平]]「淋しきヨーロッパの女王」([[新潮]] 1955年1月号、p230~262)
 
== その他 ==