「井上一樹」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
53行目:
{{by|2005年}}には、前年に続いてレギュラー争いを展開。セ・リーグの最終[[規定打席]]に満たなかったものの、2年連続の2桁[[本塁打]]と、自身初の打率3割を達成した。
 
{{by|2006年}}には、4歳年下の[[井端弘和]]から選手会長を継承。外野手としてはレギュラーの座を英智や[[藤井淳志]]などと争う立場にあったが、[[8月15日]]の対広島戦では、[[NPB]]史上411人目の一軍公式戦通算1000試合出場を達成した。[[8月30日]]の対阪神戦([[阪神甲子園球場]])では、21点ビハインドの9回表2死から[[代打]]で登場すると、[[藤川球児]]から同点本塁打を放った。試合は結局引き分けに終わったものの、当時阪神と優勝を争っていたチームにとっては、2年振りのリーグ優勝を大きくたぐり寄せる一打になった。結局、セ・リーグの最終規定打席に届かなかったものの、3年連続の2桁本塁打と2年連続の3割をマーク。勝負強位バッティングで、優勝に大きく貢献した。
 
{{by|2007年}}は同じく左打ちの外野手である[[李炳圭]]の獲得や、[[中村紀洋]]の獲得で[[森野将彦]]が三塁から外野に回る機会が増えるなどのチーム事情が影響し、出場機会が減少。序盤には[[二軍]]降格も経験した<ref>このとき、[[立浪和義]]から井上へ手紙が送られ、井上自身は後年、この立浪からの手紙が心の支えになったと語っている{{要出典|date=2018年8月}}。</ref>。しかし、[[タイロン・ウッズ]]が契約切れで帰国したため、同年の[[アジアシリーズ]]での対[[SKワイバーンズ]]戦、対チャイナスターズ(中国プロリーグ選抜)戦、更に決勝の対SKワイバーンズ戦では4試合で3本塁打を放っている。同年限りで選手会長を退任し、6歳年下の[[荒木雅博]]に譲った。