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歴代天皇は、正月元旦、早朝から四方を拝され、年災消滅、五穀豊穣を祈る[[四方拝]]といわれる祭祀を行い、それは寛平二年(890)から、現在の平成天皇まで1100年以上も続いている{{Sfn|小池|2015|p=37}}。北東の鬼門、南西の裏鬼門(人門、病門)、対角である北西(天門)、東南(風門、地門)を、現在でも四方を囲み結界をつくり、その土地に災いが起きぬよう祭礼を行う地鎮祭は簡略されたものである{{Sfn|小池|2015|p=37}}。
 
もうひとつの家相の原点として、高貴な建物を建てる[[棟梁]]を「[[番匠]]」(ばんしょう)といい、建築すべてに携わるものに災いが起きぬよう邪気を祓い去る陰陽道の祭祀祭礼の儀法を持ち合わせていた。その儀式を「[[番匠棟上槌打]]」といい、戦国時代、陰陽師が迫害を受けても刀鍛冶と同様、高い地位に位置付けられた「番匠」が口述伝承し、のちに書物化した「[[木割書]]」(きわりしょ)から、家相は生み出されたものであると、名工大名誉教授、内藤昌は述べている{{Sfn|小池|2015|p=85}}。しかし、その番匠ですら様々な流派で混乱し、ばらばらであったと述べている{{Sfn|小池|2015|p=86}}。
 
この儀式を保存するため、昭和43年、番匠保存会が設立され、2014年、300年ぶりに再建される[[興福寺]]で、この儀式が披露された{{Sfn|小池|2015|p=86}}。しかし、この番匠から家相が伝わったとする説を否定する学者も多く存在する{{Sfn|小池|2015|p=86}}が、そういった研究者が、京都や江戸からかなり離れた東北地方に伝承した家相を研究していることが興味深い、と述べている{{Sfn|小池|2015|p=86}}。