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=== 江戸時代 ===
前時代(偽の陰陽師)の流れを受け{{Sfn|小池|2015|p=34}}、[[江戸時代]]、[[天明]]から[[寛政]]の時代にかけて、「庶民に向けた」家相書が急増し、[[享和]]から[[文化 (元号)|文化]]・[[文政]]にかけてその書籍の再盛期を迎えたと考えられている。内藤昌の研究では、刊行年月の特定が出来るものと出来ないものが100冊あったとする<ref>内藤昌「大工技術書について」、『建築史研究(30)』、1961年、p.1-p.8。</ref>。また、村田あがの著作『江戸時代の家相説』<ref>村田あが『江戸時代の家相説』、雄山閣出版、1999年、p.38-p.60。</ref>によって、当時、「一般庶民に向けた家相書」が多く発行されたことや肉筆の奥伝書(写本)が多く存在することが明らかにされた。江戸時代の家相学では、畳数に陰陽五行での「木」「火」「土」「金」「水」を割り当て、[[五行思想#相生(そうせい)|相生]]、[[相剋]]を判断していた。[[村田あが]]によれば江戸時代の家相説では、その一例として「九畳八畳の続き間の如きは、土生金の吉相なり」といったように使われていたとされている<ref>村田あが『江戸時代の家相説』pISBN-13: 978-4639015871p.220</ref>。
 
江戸時代は、出版の規制も松平英明・本間五郎の「知らねばならぬ科学的家相の話」p.56で、以下の事例について述べている。