「オヤケアカハチ」の版間の差分

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[[忠導氏家譜正統]](ちゅうどうしかふせいとう)、[[長榮姓家譜大宗]](ながえせいかふたいそう)、[[八重山島年来記]](やいましまねんらいき)といった宮古・八重山に残る諸史料に共通して記されているのは、アカハチに全島民が同心し、厚い信頼を得ていたとあり、前述の「オヤケアカハチの乱」では男性島民だけにとどまらず、女性島民も沿岸に立ち呪詛によって琉球軍の侵攻に対抗したと記録されている。
 
現在、石垣島の[[崎原公園]]に鎮座する「オヤケ赤蜂之碑」の碑文によると、「石垣の土着神である『イリキヤアマリ神』<ref>イリキヤアマリ神とは: [http://isigakijima-navi.seesaa.net/article/324328616.html 石垣島なんでも図鑑]</ref>の祭祀を琉球の[[尚真王|尚真]](しょうしん)王が弾圧したため、1500年にオヤケアカハチが島民の先頭に立って反旗を翻して奮戦するも、討ち取られた。」と記されている。また、大浜公民館近くには「オヤケアカハチ之像」があり、こちらの碑文には、「西暦一五〇〇年([[明応]]-めいおう-九年)、当時の琉球王府への朝貢を拒否、反旗を翻した驚天動地のオヤケアカハチの乱の主人公・オヤケアカハチの銅像。- その人物像は独立心が強く、体つきが人並みはずれた大男、抜群の力持ち、髪は赤茶けた精悍な顔つきの若者-と伝えられている。正義感が強く、島の自由のために先頭に立って権力にたち向い、八重山の人々から太陽と崇められ信望を一身に集めていた。爾来(じらい)、今日まで英傑・オヤケアカハチの遺徳は石垣島の人々に「アカハチ精神」として受け継がれている。」と記されている。
 
敗北したものの、琉球の侵攻から大平山(タイビンサン)を守ろうとしたオヤケアカハチは、[[先島諸島]]の英雄として現在に伝わっているほか、イリキヤアマリ神を伝える[[御嶽 (沖縄)|御嶽]](うたき/おん)も石垣島に残っており、変わらず信仰の対象となっている。