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====国共内戦の再開====
[[1945年]]8月の日本の[[太平洋戦争]]敗戦は、国共統一戦線の意義も名目もなくなり、アメリカの調停によって国共で締結された[[双十協定]]でも完全な停戦に至らず、内戦は再開された。共産党軍は、東北と内蒙古と新疆に侵入したソ連と[[モンゴル人民共和国]]の支援を受け、徐々に南下して国民政府軍を圧迫した。日本軍の前面に立って戦力を消耗してアメリカから事実上援助を打ち切られた国民政府軍と、後方で力蓄えると共に巧みな宣伝活動で一般大衆を味方にした共産党軍の戦いは1949年に共産党の勝利で終わり、[[中華人民共和国]]の成立に至った。敗れた国民政府は[[台湾]]に移駐圧迫した。
 
1949年1月、蒋介石が国共内戦での敗走の責任をとって[[中華民国総統|総統]]を辞任すると、[[中華民国副総統|副総統]]だった[[李宗仁]]が総統(代理)に就任し、同年4月1日に共産党との和平交渉団を南京から共産党支配下の[[北京|北平(北京)]]に派遣して{{仮リンク|北平和談|zh|北平和谈}}を行い、交渉団が最終案である{{仮リンク|国内和平協定|zh|國內和平協定}}を持ち帰ってきた。しかし、20日に国民党は調印を拒否する電報を共産党に打って交渉は決裂し、3日後の23日には{{仮リンク|渡江戦役|zh|渡江战役}}で首都の南京も共産党に占領されてしまった。同年10月には[[中華人民共和国]]の成立に至り、[[台湾]]に逃避して総統に復帰した蒋介石は武力による大陸部の領土奪還(大陸反攻)を目指して[[冷戦]]状態となった。
 
==注釈==
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*[[人民戦線]]
*[[双十協定]]
*{{仮リンク|北平和談|zh|北平和谈}}
*[[九二共識]]
*[[両岸経済協力枠組協議]]
*{{仮リンク|辜汪会談|zh|辜汪會談}}
*{{仮リンク|連胡会談|zh|2005年中國國民黨和平之旅}}
*[[中台首脳会談]]
*[[九二共識]]
*[[両岸経済協力枠組協議]]
 
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