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'''岡 茂雄'''(おか しげお、[[1894年]] - [[1989年]][[9月21日]])は、日本の編集者、書店主、元[[軍人]]。[[大正]]から[[昭和]]初頭の日本に於いて、民族・[[民俗学]]や[[考古学]]専門の書店「岡書院」、山岳書専門の「梓書房」を経営。学術史上の名著となる多くの書籍、雑誌を世に送り出した。[[長野県]][[東筑摩郡]]松本町(現[[松本市]])生まれ。
== 出版人としての軌跡 ==
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雑誌類では、1925年9月に、民族・民俗学の綜合隔月誌『民族』を創刊。現在も[[日本野鳥の会]]の機関誌となっている雑誌『野鳥』も、[[中西悟堂]]らの懇請を入れる形で岡が梓書房から創刊したのが始まりとなる。
義侠心からの採算を度外視した出版は度々の事だった。言語学者[[小林英夫 (言語学者)|小林英夫]]による[[フェルディナン・ド・ソシュール]]
岡書院、梓書房とも[[1935年]](昭和10年)頃に閉店、岡は出版業界から身を引く。
また、岡書院で刊行していた人類学(民族・民俗学)・考古学専門誌『ドルメン』は、岡書院の廃業とともに4巻8号で停刊していたが、各方面から再刊の要望が強く、友人の書店主の協力を得て1938年(昭和13年)復刊。岡が陸軍の[[召集]]に応召するまで9巻を発行した。
第二次世界大戦後、[[岩波書店]]の元会長[[堤常]]の勧めで出版業を
== 岡書院の造本 ==
造本の工程を「[[装幀]](そうてい)」といい、[[当用漢字|当用漢字表]]告示を受けた[[同音の漢字による書きかえ]]に従う場合「装丁」と表記する。
だが岡は、壊れない丈夫な本造りを標榜していたので、「装釘」の表記を好んで用いた。のちには「装釘同好会」の創設に参加。機関誌『書物と装釘』(1930年刊)が刊行される。岡は出来上がった本を床に叩きつけ、堅牢に仕上がっているかを試した<ref>司馬遼太郎
==註==▼
<references/>▼
==関連項目==▼
*[[出版人]]▼
*[[学術出版]]▼
*[[学術雑誌]]▼
*[[広辞苑]]▼
== 参考文献 ==
=== 著作 ===
* 『本屋風情』 [[平凡社]]、1974年、299頁。第1回日本ノンフィクション賞([[角川書店]]主催)
**[[中公文庫]] 1983年、新装復刊2008年/[[角川ソフィア文庫]]、2018年
* 『炉辺山話』 [[実業之日本社]]、1976年、235頁。
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=== 評伝 ===
* 山口耀久「岡茂雄という人」-
* [[司馬遼太郎]]「本屋風情」、「三人の茂雄」<ref>他は[[岩波茂雄]]・[[反町茂雄]]</ref> - 『[[街道をゆく]]36 [[本所 (墨田区)|本所]][[深川 (江東区)|深川]] 散歩
*:[[朝日新聞社]]、1992年、新版2005年/[[朝日文庫]]、1995年、新版2009年
* [[山口昌男]]<ref>師の一人が弟の[[岡正雄]]</ref>「33 『本屋風情』異聞」 - 『[[内田魯庵]]山脈 〈失われた日本人〉』に所収。
*:[[晶文社]]、2001年/[[岩波現代文庫]] 上下、2010年
* 藤森栄一「心に残る山の本 岡茂雄さんの本を中心に」- 『アルプ』189号、[[創文社]]、1973年。
* 石井順三「民俗学の黎明期 岡茂雄著「本屋風情」を読む」- 『芸能』12月号、16巻12号(通巻190号)、芸能学会(編集)、芸能発行所、1974年。
▲==脚註==
▲<references/>
▲==関連項目==
▲*[[出版人]]
▲*[[学術出版]]
▲*[[学術雑誌]]
*[[人類学]]
▲*[[広辞苑]]
{{Normdaten}}
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