「シメオン・ドニ・ポアソン」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[ピティヴィエ]]で生まれた。初めは父の意向で[[医学]]を志したが、不器用であることやって医学に関心をたなかったことからので[[数学]]転向した。[[1798年]]に[[理工科学校|エコール・ポリテクニーク]]に入学、[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ|ラグランジュ]]、[[ピエール=シモン・ラプラス|ラプラス]]らに代数学などを学ぶ。[[1802年]]に[[ジョゼフ・フーリエ|フーリエ]]の後任としてエコール・ポリテクニーク教授に就任し、[[1806年]]まで在籍した。
 
[[1808年]]と[[1809年]]にポアソンは、主要業績とされるいくつかの論文を[[科学アカデミー (フランス)|フランス科学アカデミー]]会報に発表した。1808年の ''{{lang|fr|Sur les inégalités des moyens mouvement des planètes''}} では[[惑星]]の運動を取り扱い、ラプラスとラグランジの提出した問題への解答を試みた。続く1809年には ''{{lang|fr|Sur le mouvement de rotation de la terre'' }} および '' {{lang|fr|Sur la variation des constantes arbitraires dans les questions de méchanique''}} において、ポアソンはこれを発展させた。また[[1811年]]にはエコール・ポリテクニークでの講義録を2巻の書籍として出版した。
 
1818年にロンドン[[王立協会フェロー]]に選出され<ref>{{FRS |code=NA4949 |title=Poisson; Simeon Denis (1781 - 1840) |accessdate=2011-12-11}}</ref>、1832年には[[コプリ・メダル]]を贈られている。