「マギステル・ミリトゥム」の版間の差分

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マギステル・ペディトゥムとマギステル・エクィトゥムは、コンスタンティウス2世らコンスタンティヌス1世の後継者たちによって[[ガリア道]]{{enlink|Praetorian prefecture of Gaul}}・[[イタリア道]]{{enlink|Praetorian prefecture of Italy}}・[[イリュリクム道]]{{enlink|Praetorian prefecture of Illyricum}}・[[オリエンス道]]{{enlink|Praetorian prefecture of the East}}の各行政区に1人ずつ置かれるようになった。両マギステルは単一の人物に束ねられることもあった。そのような指揮官は即応部隊として活動する野戦機動軍「[[コミタテンセス]]」{{enlink|Comitatenses}}を指揮できた(マギステル・エクィトゥムが指揮をとることもあった)。
 
帝国西方においては「マギステル・ウトリウスクァエ・ミリタエ」と呼ばれた。この単語自体は上位の軍団指揮官という意味しかなさなかったが、実際にはマギステル・ミリトゥムに就任する者は[[アルボガステス]]([[:en:Arbogast (general軍人)|enアルボガステス]])、[[スティリコ]]、[[アエティウス]]、[[リキメル]]などのように主に帝位の陰の権力として登場した。
 
<!--この官職は東西のローマ帝国内の行政単位で創設された。すなわち称号は[[トラキア]]、[[ガリア]]、[[イリリクム]]、[[オリエンス]]などの後期ローマ帝国の行政区分限定のものであり、さらに[[歩兵]]、[[騎兵]]などの兵科によっても分化されるようになった。この細かい区分けのために後に数多くのマギステルを輩出するようになり、称号としての存在意義はしだいに薄れていった。-->