「フランス学士院」の版間の差分

パリがパレと間違えていた
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(パリがパレと間違えていた)
[[Imageファイル:Institut France.jpg|thumb|400px|フランス学士院]]
[[Fileファイル:P1030565 Paris VII Institut de France quai de Conti rwk.JPG|thumb|400px|right|フランス学士院の夜景]]
'''フランス学士院'''(フランスがくしいん,Institut de France)は、[[フランス]]の[[国立アカデミー]]である。
 
「モラルと政治の科学クラス」には<感覚と観念の分析><道徳><社会科学と法学><政治経済><歴史><地理>の6部門があり、第1部門<感覚と観念の分析>に集っていた[[観念学]]派が[[ナポレオン]]対し批判的になったこと、および、ナポレオンが戦争実行に「役に立たない思弁学」より役に立つ実学を求めたため、設立7年目の革命暦Ⅶ年(1803年)に「モラルと政治の科学クラス」を閉鎖し、クラスに含まれていた諸部門を廃して「アカデミー・フランセーズ」「碑文アカデミー」に分割した<ref>{{Cite |和書 |editor=松永澄夫(編)|others=<Ⅷ.観念学派とその周辺>(執筆:村松正隆)|date=2007-06|title=哲学の歴史〈第6巻〉知識・経験・啓蒙―18世紀 人間の科学に向かって|publisher=中央公論新社 |pages=579(註8),pp.584-585}}</ref>。
 
{{要出典|1805年、パ・マザラン地区に移設。翌年1806年からフランス学士院と改称|date=20152019810月}}。1810年時点では、数学と物理、仏語と仏文学、古代史と古代文字、美術の4部門があった<ref name=h />。ナポレオンによって閉鎖された「モラルと政治の科学クラス」は1832年に復活した<ref name=phil /><ref name=insti />。
 
== その他==
フランス学士院は「[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]」の所蔵者としても知られる。
 
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File:Institut de France 1898.jpg|1898年の学士院
File:La Coupole de l'Institut de France.JPG|講堂