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'''橋本 福松'''(はしもと ふくまつ、[[1883年]][[3月24日]] - [[1944年]][[2月5日]])は日本の[[地理学|地理学者]]、実業家。旧姓は平沢。
 
[[長野県]][[上伊那郡]][[西春近村]](現[[伊那市]])生まれ。旧[[松本藩]]士の橋本房太の養子となる。上京して[[正則英語学校]]卒業。1902年[[茅野市立玉川小学校|諏訪郡玉川小学校]]の教員となり、校長の[[島木赤彦]]に師事する。のち[[長野県諏訪二葉高等学校|諏訪高等女学校]]等で教鞭をとりながら、[[諏訪湖]]の研究に打ち込み、1906年に湖底の「曽根遺跡」を発見、1910年には「諏訪地図」を完成させる。
 
[[1918年]]再び上京して[[岩波書店]]に入社したが、病気に罹患して帰郷し伊那小学校に勤務の傍ら、「上伊那郡誌」の編纂に携わる。[[1922年]]再び上京して地理学専門出版社[[古今書院]]を創設。[[1925年]]「地理学評論」を創刊。また[[小川琢治]]、[[辻村太郎]]らの地理学書を多数出版した。